現在、われわれは、文明規模での変化を目撃している。”いや、そんなことはない、今日は昨日の続きであり、目の前の経済不況もごく近いうちに回復し、また以前のようにやっていける”、と思い込みたい心情は理解できるが、お気の毒ながら、もう以前に戻ることはない。あるいは、歩いてきた道をそのまま伸ばしていけば、間違いなく孫の時代には地球は破滅するから、「これ以上立ち入り禁止」の看板が立っていて、道は行き止まりになっている。
簡単に言えば、石炭・石油に依存しての、工業資本と金融資本による大規模工業化、大都市化、グローバル金融システムの時代は終ろうとしている、ということになる。これまでに手に入れた権益、権力の座と自分への利益を何が何でも守りたい人たちは、”あなた方の時代は終わりましたよ”、という声には怒り狂い、そのような発言をする人たちを”あんた、頭がおかしい”と場外に放り出そうとするだろうけれど、時代の流れは止めようも無い。
文明規模での変化は、大きな工場で同一規格品を大量に製造し、それを国内はもとより世界中に売りまくるというビジネスモデルの終わり、という面にも現れて来ている。いかに安くとも、いかに性能・機能に優れていても、いかに品質が高くとも、購入する人たちがいなければ売れないし、既に購入した人はもうめったに買い換えようとはしない。これまでの期間に、世界中で中産階級が育っていたならば、このビジネスモデルもまだまだ有効であっただろうけれど、自分たち工業化兼先進金融化諸国以外の地域で、ほんの少しお金に余裕が出た人を大量に生み出すことに失敗したために、あるいはその努力をしてこなかったために、自分たちの「先進」地域が満杯になると同時にこのモデルも崩れた。わずかにこのビジネスモデルが有効なままなのは、お隣の中国しかない。かの地では、かつての1960年代の初めから1980年代半ばまでの日本のように、そして日本の10倍の規模で、大量工業製品化による豊かさの追求が続いている。(その結果、地球の破壊はますます加速するという問題はここでは論じない。)
大工場大量生産とその製品の輸出というパターンに慣れ切ってしまっていたわれわれは、”そのモデルがもう効きませんよ”、と言われると、呆然として仕事も(続いていればの話だが)手に付かないかもしれない。顔つきも暗くなるだろう。それが嫌だから、”いやそんなことはない、陽はまた上る”と信じたくなるだろう。
しかし、そんなに暗くなる必要は無い。大工場大量生産のモデルを有効裡に実行して来たのは、2千年の日本の歴史の中でわずかにこの40年ほどだけであり、長い歴史の流れの中では瞬きしたぐらいのものである。工場による生産だけではなく、日本には、あるいはわれわれ日本人には、ありがたいことに、手によるモノづくりの長い伝統と蓄積がある。これは、農業から沿海漁業まで、自然素材を利用しての道具作りから衣料まで、また、里山の保全から森林の保全まで、あらゆるところにまだ残っている。霞ヶ関のご指導や「成長・効率・生産性・収益率」の神話によってずいぶん壊してきたが、多くの心ある人たちの努力で、幸いなことにまだ残されている。ビジネスモデルの転換、あるいは回帰は十分可能なのだ。
先日、何気なしに、番組の途中からテレビを見たら、ケニアで井戸掘りをしている日本人のドキュメンタリをやっていた。また、昨日は、アラブ首長連合のどこかで、真珠の養殖を指導している人が映っていた。これが、これからのわれわれの採る道の例の一つである。その土地の人に不可欠の水などのインフラ整備に、われわれの知恵(技術、技能、経験、ノウハウ、プラス心)を現地に持ち込み支援する。また、ささやかであれ、一つの産業を興して人々に働く場をもたらし、そこそこの生活ができるように支援する。
このような、井戸掘りや真珠の養殖のようなネタは日本にはゴマンとあり、世界中が(先進諸国以外)それらを待ち望んでいる。
かつて、日本から南米などに多くの移民が出た。そのモノづくりの多くは農業分野であった。これからの時代は、移民ではなく、暫定的移住による、つまり、需要がある場所に移りながら、身につけた知恵を現地に定着させていくスタイルとなろう。霞ヶ関の「空の神兵」(純白の落下傘で天下る)スタイル、何箇所も天下る「渡り」ではなく、世界の人々のお役にたつ「渡り職」が主役となるだろう。
そして、その際、身をもって知恵を伝授するだけでなく、その知恵を「文書」にして普及の促進を図ることが大事になる。さらに、文書にしておけば、そのオリジナル性の主張の証拠となり、成功した土地から、企業から、ささやかであれローヤルティが入る可能性も出る。そんなセコイ事を考えないにしても、知恵をマニュアル化しておけば、”ニッポン人”の評価は確たるものになり、そこからまた予想もできなかったビジネスへと発展する可能性も出てくる。また、井戸などの設備を作ったのなら、現地の人による保守整備にも、マニュアルは欠かせない。
日本に有り余る知的資源を知的資産(知的財産)とすることで、世界は限りなく広がり、同時に身近なものとなる。暗い顔などしている暇は無い。
(09.04.28.篠原泰正)