有史以来の、つまり考古学的遺跡ではなく、書物に出来事や状況が記載され始めて以来の歴史として、日本も2千年の長さがあるから、これを学習する中学生や高校生もなかなかたいへんである。もっともイタリアの生徒はローマ以来となるからもっとたいへんだし中国の生徒もまたしかりである。
戦争中に流行った建国以来の皇紀という数え方は、もちろん絵に描いたようなインチキだから(ちなみに私は皇紀2602年の生まれである)、それは無視するとして、ヤマタイ国の卑弥呼なんぞが活躍をしていたときから学ぶとなると、これはいかにも長い。そこで、対象とする期間を短くし、途中も端折る(はしょる)方法を伝授したい。
日本の歴史で学ぶ価値が出始めるのは、平安末期、武士階級が勃興してきたときからとしたい。私は中学3年の時に、吉川英治の長編「新平家物語」に夢中になり高校受験に支障をきたすという事態を招いたが、ともかく、まったく面白かった。それまでに既に子供向けの「源平盛衰記」なんぞは読んでいたので、時代背景の予備知識は相当にあったから、ますますはまり込んだとも言えるだろう。
日本の歴史は、武士階級という存在が出てくることで初めて民衆が姿を現し、「人間」の歴史が生き生きと始まる。それまでの奈良・平安の世は、一握りの公家階級が農民から年貢を搾り取るだけの図式の世界であるから、こんな時代を勉強する必要はさらさら無い。自分たちは汗水流すことなく、京都あたりで”花よ蝶よ”と明け暮れていた人たちのことを知ってどうなると言うのか。八つ当たり気味にいえば、その階級の人たちの産物である「源氏物語」も「枕草子」も「古今集」も私に言わせればクソクラエである。日本の古典は「平家物語」からで十分である。
とすると、2千年の歴史は半分に縮小でき、平の将門が関東で暴れていたころ(10世紀)から始めれば十分となる。そして、日本人が生き生きとしていた時代は、そこから1615年の大坂の夏の陣までが第1期と言えるから、まずこの600年ほどを授業の前半3分の1に当てることにする。
夏の陣から20年ほどで鎖国をしてしまったから、その後の200ほどはすっ飛ばしてもいい。チマチマ。セコセコ、コソコソした日本人が形成されたのもこの鎖国時代とし、文化人類学的に「日本人はなぜつまらなくなったのか?」を研究したい人は別にして、この徳川時代はオモシロイ事が少ないから端折(はしょ)ろう。
俄然、面白くなるのが幕末、ロシア帝国の軍艦が北海道沖あたりをウロチョロ始めたときからである。その最初のクライマックスは1853年のペリー提督の黒船であり、これが今に至るまでの大騒ぎの始まりとなる。織田信長が早死にしなければ、そして政権を全土に確立していれば、日本は大航海時代の東方の雄となり、2回目の帝国主義(1回目はローマとして)国の大物となっていた可能性がある。つまり、オモロイ時代はそのときから今に至るまで途切れることなく続いていた可能性がある。もっとも、そうなっていれば、アジアの諸国からは鼻つまみの「悪」(ワル)という存在になっていたことだろう。また、民族の元気はそう長続きはしないので、今頃の日本は、老衰した旧大国という当たり障りの無い存在となっていたかも知れぬ。
話がそれそうになったが、幕末から今に至るまでの日本の歴史こそ、気合を入れて学ぶべき対象であり、そこには数々の、「あっぱれ」もあれば、「なんでこんなアホな事をしたのか」という出来事に満ちている。そして、気合を入れて学べば、その「なぜ?」を追求することなく、まあまあでぼかしてきたつけを今に引きずっていることがわかるようになる。その「なぜ?」を追求すれば、西洋世界のやりたい放題の200年の歴史も見えてくる。彼らのやりたい放題に必死に対応して来たのが、日本の近代史の姿であり、彼らのやり方とは別の道を採るのでなく、悪習を真似した代償がいかに大きかった事かもわかるようになる。
歴史の授業の3分の2はこのペリー以来の近代史に時間を割くべきである。歴史を学ぶことは、今、自分が生きている社会がなぜこうなっているのかを考える基本であり、歴史の中に数々の「なぜ?」を見いだしていかなければ、今の社会の構造も動きもとらえて行くことはできない。また、明治維新のなぜ?は、そこにいたるまでの、鎌倉時代からの歴史を知ることで手がかりが得られるというつながりでもある。
日本中の学校で、この重要限りない日本の近代の歴史を疎かにしていることは、直線的に、「なぜ?」を考えられない日本人を生み出していることにつながっている。アホを大量生産するには、近代の歴史を学ぶ時間を失くすのがもっとも手っ取り早く効率の良いやり方と言える。その成果は見事に上がっている。
(09.04.21.篠原泰正)