子供の時から「なぜ?」と考える力を養ってこなかった人が増えると、社会の中でオカシナ事、怪しげな事がさまざまな局面で拡がっていく。
日本における特許の世界も、その”アヤシゲな事”を免れていない。
この四半世紀を特許という世界から見ると、大きな流れの一つは「世界化」にある。これは製造という活動が国境を越えて、好適地(主に労働費が安いところという意味だが)ならどこでもと広がり、また一方で、工業化というと従来のG7諸国の独占的生業であったのが、中国やインドという巨大国家が参加してきたことでも、この流れは加速された。これらの主に経済面での変化を受けて、特許のシステムも、例えばPCT(Patent Cooperation Treaty)の広がりなどで対応がされてきた。また、世界の中で、出願が圧倒的に多い欧米日の3極の間での協力体制も、その狙いの是非はともかくとして、ますます整備されて来ている。
その出所は米国の利益を最優先目的としたグローバリゼーションの流れ、米国に追随して欧日も積極的に奨めてきたその流れが、今回の大不況で、少なくとも当面は頓挫したが、金持ち国も貧乏国も、老舗の工業国も新興の工業国も、孤立しては存在し得ない環境となったことはもう元に戻らないであろう。
ところが、日本の特許の政策(もしそのようなものがあればの話だが)とシステムとそれを土台にしての日々の活動は、不思議なことに、昔の化粧とシナリオのままで演じられていると思える。日本の特許のもともとは、日本国内で特許権を保証し産業の発展に資するように定められたものである。昔であればそれで何ら支障はなかったのかも知れないが、上に述べたように、この4半世紀の世界の大きな流れの中では、事を国内だけで収められるようなものではなくなっている。弁理士という制度も、もともとは国内で特許権を求めて特許庁に出願する仲立ちの仕事のためにあった。つまり、世界の各地に出願すると言うことは視野の外であった。
ところが、上に述べたような世界化の流れに応じて、PCT出願を含め、日本から海外への出願は飛躍的に増えてきたのに、それを実現するシステムと考え方は、昔のままの国内向けだけの世界で執り行われている。一言で言うなら、国内出願を主として、それを元にして海外、PCTや米国や中国への出願を行って来ている。すなわち、国内の特許世界でのみ通用する儀式と表現のまま、それらを単に「外国語に翻訳」するだけで海外出願が図られて来ている。その結果が無残な有様を示していることは、この場でも嫌になるほど述べてきた。
ちょんまげ結って刀を差したままアメリカや中国や欧州に出かけているようなものだ。日本で通用しているのだから海の向こうでもそのまま通用する、と思い込んでいるように見受けられる。一方で、これはまずいと気がついている人も多いと思われる。
それならば、なぜ、新しい(もう古いが)世界化の動向にあわせた施策とシステムに改善していかないのだろうか?特許庁も弁理士会も企業の知的財産部も特許事務所も、なぜ、これはまずい、時代に合わないとして改善の動きをとらないのだろうか。
米国でパテント・トロール屋の餌食になっても、中国で権利の主張が明細書不備のために不可能であるなどなど、いくらでも、このままのやり方では海外で戦えない証拠が挙がっていても、世は太平のままに過ごされているのはなぜなのか。
昔に建てられ継続されている方針やらシステムに対して、「なぜ?」という疑問が湧かない人が、数から見て圧倒的に多いのだろう。立派な制度であるからとして、そこに何の疑問も感じない人がおおぜいなのだろう。なぜアメリカでカモになるのか?なぜ意味不明の中国語出願を続けるのか?なぜ意味不明として海外の特許庁から出願の明細書がつき返されてくるのか?疑問を感じなければ、当然対策を考える必要性も感じない。
特許とは一体何なのか、昔と今では状況はどう変化したのかなどなどを考える力が無ければ、今日は昨日の続きであり、明日は今日の続きとして、目の前の「業務」をこなすだけの日々となるだろう。
施策やシステムなどというものは、制定されたときには既に古くなっているものであり、うまく運用するためには新たな状況に対応して、日々改善していく必要がある。しかし、状況の変化は、「なぜ?」を考える力が養われていないと目に映らない。ご一新で徳川体制が瓦解したのに、関ヶ原以来のご先祖の家訓だけを守っている旗本八万騎が消滅するのに長い時間はかからなかった。なぜ?を考える力を養うことなく、ただ250年をボーとして過ごしてきたつけは大きかった。
なぜ?を考える必要性も感じず、また力も無い人に向って、いくら問題点を挙げても、馬耳東風、蛙の面にションベンとなるのだろう。
(09.04.11.篠原泰正)