双子都市と呼ばれているミネアポリス(Minneapolis)市とセントポール(St Paul)市の間を流れるミシシッピ河(Mississippi)に架かる上下合計8車線の自動車専用の橋が、一昨日8月1日(07年)に突然崩れ落ちた。
このような信じがたい事故で亡くなられた方や怪我をされた方はまことにお気の毒と言うしかないが、この橋の崩壊は、私にはアメリカにおける自動車時代の終幕を告げるベルの音のように聞こえる。
この橋でつないでいる州間高速道は、インターステート・ハイウエイ・システム(Interstate Highway System)のひとつで、この制度は1956年、当時のアイゼンハウアー大統領の号令で作られた。その時から半世紀、全米を蔽うこのハイウエイは、現在全長4万7千キロマイル(7万5千キロメートル)に及ぶという。この橋自体の開業は1967年というから、ちょうど記念すべき40周年で崩れ落ちたことになる。
2005年、全米土木工学協会(American Society of Civil Engineers)は、全国で約60万ある橋の内7万5千に構造的欠陥(structurally deficient)が見つかったと発表している。そして、橋だけでなく高速道路も修理が必要な箇所は無数にあるとのことだ。
80年代半ばから続く小さな政府、軍事費以外の連邦支出を減らし、企業および金持ちからの税金取立てを緩やかにするという施策によって、ハイウエイは保守費も修理費も減らされて、ガタガタになってきているようだ。
かつて、近代工業化文明の象徴のごときであった片側4車線、6車線というコンクリートのかたまりのようなばか広いハイウエイが、いまや、手当てもされずに放って置かれている。自動車時代が終わろうとしているのを見越したように。
このハイウエイを突っ走る自動車も、この10年で大きく変った。ビッグスリーのシェアは10年前に80%近くあったものが今や40%強にまで落ち込み、日本のメーカーの車は20%から40%近くまで増えている。かつて、世界最強と謳われたアメ車に落日の色が濃い。
しかし、人々は自動車を乗り回すことを止めていない。いや、生きていくためには止めるわけにはいかないのだ。そのため、今でも毎日1千万バレルというガソリンを消費しているという。石油消費の全量2千万バレルの半分を自動車に飲ませていることになる。
石油の輸入が日々難しくなっていくと、また価格が日々上がっていくと、自動車の乗り回しも減らしていくしかないだろう。そして、近い将来、傷ついたインターステートハイウエイを走る車の数もまばらになるのだろう。そのとき、走っている車のほとんどはトヨタかホンダとなっているのかもしれない。
(07.08.03.篠原泰正)
やり手部長も遂にかん落
それからも部長はくじけずに我々を奮起させるためにいろいろな手を打ったが、働かないことに関しては筋金入りの情報機材部は、とうとう立ち上がることはなかった。やがてギブアップ宣言となった。「さすがのわしも、こいつらには負けた」というわけである。
もともとが駄目部署に回されて、本人も気乗りがしなかった筈である。しかし、無気力な部下達を見ているうちに「こいつらを、どうにかしてやんなきゃ、」と義侠心が起きたのであろう。ところが、敵さんのしぶとさに手を焼いて、サジを投げたのである。
すると、我々にとっては、話のわかる良い部長になるわけだ。特に私は挫折寸前の?自分のを曝け出す人物が好きである。からして、部長と気があうことになる。てなことでよく飲みに付き合った。彼はグチをこぼしたり、会社の悪口は決して言わなかった。自分が特攻隊の生き残りであること、医者である父親に逆らって医者になるための勉強をしなかったこと、リコーのために粉骨砕身で働いてきたこと、出世をしていい気になっていたこと、などいろいろなことを話してくれた。「お前は、苦労しているから」ということで親しみを持ってくれたようだ。
ガンバリズムだけでやってきた彼には、リコーのなかに「何を言っても働かない連中」が存在する情報機材部が不思議で理解不能であったに違いない。「こいつ等は凄い、かつて見たことが無い人類だ!」と驚き、賞賛さえ吐露することがあった。
部長は「お前は人の話を聞くのがとてもうまい」と私を褒めてくれたものである。「ところで、情報機材部立ち直りの妙楽はないか」と、つまるところ仕事の話になっていく。この頃になると、私の営業成績は良かった。そりやそうだ!ちっとも働かないHさんの下では自分が人の何倍も働くしかない。その努力がそろそろ報われ始めたのである。
情報機材部が営業している商品は、リコピーを売るようなわけにはいかないこと、営業マンが大変疲れていて、これ以上ムチを入れるのは無理なこと、なぜ自分が販売代理店を作ってHさんに販売を頼み込んだのか、などを逐一話した。要するに、「これまでのいきさつをまったく知らない若い人を、その気にさせて売りまくるか、この事業をやめる」しかないと進言することとなった。(矢間伸次)
-世界の関ヶ原-
国家機構の中のお公家となるには、戦前は三つの登竜門があった。東京大学と陸軍士官学校と海軍兵学校である。戦争に負けた結果、陸海のエリート(士官)養成学校は廃止されたので、戦後60年、唯一の登竜門として君臨してきたのが、泣く子も黙る東京大学法学部である。
それとは別に、氏(うじ)はさまざまながら、きわめて自然にお公家さんに成っていくグループもある。政界とか大手企業の三代目がそれにあたる。
三代目の特徴は、いろいろあるが、「売り家と唐様で書く三代目」と江戸川柳にもあるように、まず経営能力(戦闘能力)が欠けていることを挙げることができる。企業でいえば、一代目が築き二代目が拡大した事業を、三代目でぶち壊す、というのが江戸期からの伝統的な有り様(ありよう)である。
彼ら三代目は極めて「ジコ中」であり、他人は自分に奉仕するために存在していると思っているようで、特に弱者へ配慮する心と言うのは、まったく育っていない。注意されても、その意味さえ理解できないように見受けられる。
また、「ボクちゃん、凄いんダゾ」症候群に冒されているのも多くに共通する特徴である。何しろ大物であった初代や先代の話を、子供の時から何かにつけて聞かされてきたものだから、そのイメージが頭の中に定着してしまっている。そのため、自分の力量を勘案せず、ついつい背伸びして、「ぼくちゃんだっておじいちゃんのようにすごいんだぞ!」と力みかえる癖が見に染み付いてしまっている。なにか目立つことをやりたくてたまらなくなる。たとえば、戦後60年、誰も手をつけられなかった憲法9条を「ぼくちゃんが改訂してやる」なんてリキミもその一つの現れである。
ともあれ、科挙の試験(東大法学部入試)を通ってきたお公家と、この生まれながらの金持ち貴族の自然体で変身したお公家さんは、出てきたところが違うとはいえ、同じお公家として共通項をたくさん持ってるから、互いに連合して、やりたい放題やることになる。政官財、三位一体である。
両方の系統のお公家さんに共通しているのは、何しろ修羅場に弱いことにある。異常事態への対処力はゼロであり、くにの一大事なんてときにはまったく役に立たない。
地球上に嵐が吹こうとしている時、「天下の秀才」であるお公家と「ぼくちゃんすごいんだぞ」お公家が、日本というディズニーランドでやりたい放題に遊び呆けているのは、日本の歴史上、先の戦争にいたった時代に次いで2度目の、喜劇的ではあるが大きな大きな悲劇となりつつある。
(07.08.01.篠原泰正)
石油はまだ半分ほどは地中に埋まっていると思われるが、その前に、産油国の輸出規制で価格はどんどん上がっていくだろう。石油という糧道を抑えられると先進諸国は実にもろい、ということを産油国は完全に理解したので、これから何かあると彼らは石油という伝家の宝刀をちらつかせるであろう。
今までの石油の値段が安すぎたのだ。今現在、1バレルあたり70ドル台まで上がってきているが、仮に80ドル(8000円)になっても1リットルあたり50円である。(1バレルは159リットル)これに精油費用やら利益やらを積んでも100円ぐらいだから、私のお気に入りの「六甲の水」と値段は同じである。ボトルの水が暴利をむさぼっているのか、石油が安すぎるのか。これまでの先進諸国の経済はこの安い石油のおかげで調子よく、あるいはそこそこやってこられたわけだ。自力でうまくやってきたと思うのは、うぬぼれに過ぎることになろう。
石油の価格が上がると、なんせ何でもかんでも石油におんぶ抱っこの経済だから、ほとんどあらゆる製品の価格上昇に反映されてくるだろう。中でも厄介なのは食料価格の上昇である。世界は既に眼に見えての食料価格の上昇を示しており、これが安くなる方向は一切ない。ゆっくりであれ急速であれ、食料価格の上昇はもう止まらない。
地球上の嵐は、地球温暖化による低気圧の巨大化だけではなく、それよりももっと強力な形で吹き荒れ始めようとしている。食料価格の上昇は、その不気味な前触れと言えるだろう。石油価格の上昇だけでなく、雨が降らないことや河の水が流れてこない、また地下水が涸れたなどによる食料生産量の落ち込みが、食料価格の上昇に輪をかけてくる。この状態が更に続けば、お金をいくら出しても他人(他国)には売ってくれないということにもなろう。
そのような嵐がくるのに、食料の自給率40%で、しかもそのことを改善しなければならないという議論がまるでなされない国とはいったいなんなのか。「貧乏人は麦を食え」(池田勇人首相のことば)と言われても、下手すりゃその麦さえも手に入らない時代になるかもしれぬ。
国家安全保障(National Security)の観点から見ても、自給率40%の国というのは、限りなく「馬鹿」に近い存在であろう。これでは、食料の手当てもせずにインパールに攻め込んだ(昭和19年の)牟田口中将を馬鹿呼ばわりする資格は今のわれわれにはなさそうである。
(07.07.31.篠原泰正)
やり手部長の登場
「矢間ちゃん、よく働くねえ」とHさんはノー天気である。他社のためにリコーの社員が働くというおかしな構図となった。売上げを上げ、ノルマを達成しなければならないという状況はまったく前と変わらないのである。むしろ前より状況は悪くなったかも・・・・。私が真面目に売り歩くので、Hさんは感心しているのである。
こんなことはいつまでも続けられないので、Hさんにセールスマンを雇ってほしいと頼むと、立派なエリートを連れてきた。いったいどんな説明をし、騙してきたのか、超一流の会社(報道マスコミ会社)から引き抜いてきた。これで営業マンは、やっと2人になった。しかし、この商売は急に成果は上がらない。エリ-ト新人はHさんのプレッシャーに負けたのか、それともいい加減さに呆れたのか、業界の水が合わなかったのか、頭が痛いと言って、其のうち会社に出てこなくなた。
また「1人営業マン」に舞い戻りである。売上げがないのは相変わらずだったが、毎月の定例営業会議は針のムシロである。このときだけは「すみません、来月こそはなんか・・・・」とひたすら謝るしかない。幸いなことに?他の営業マンも成績が悪いので随分と助けられることになる。お互いが傷口を舐めあって庇い合うしかない。売れない理由をタラタラと言えば連中も「そうだ」と成る。とにかくこの会議さえしのげば、後は気楽なものだった。
そんな状態が1年近く続いた時に、なんでもよきにはからえの部長が転出し、静岡支店長だった人が情報機材部長になった。これ、格下げである。支店長は専用車もあれば、権力もある。それが情報機材部というゾンビの里に押し込まれたのだから、同情に値する。
この新しい部長、大阪支店では営業部長を長くやって、それは大変な権勢だった。大阪支店は、リコーの中でも独立国みたいなところがあって、超ワンマン支店長のもと、猛烈に社員は働かされていた。そんなところからやってきた部長だから、情報機材部の連中はみんな戦々兢々である。黒船で太平の夢を破られたような恐怖である。
よきにはからえの部長がご丁寧にも「今度の人は私のようにはいかんよ!」と言い残していったので、みんな震え上がったわけである。新任の部長は、さすが支店長を歴任しただけあって、カッコ-は良かった。つまり「粋」な感じである。高級な縦縞の背広を着こなし、靴はメッシュで、金縁の眼鏡をかけていた。しかし、体格は小柄で、噂に聞く迫力がどこにあるのか、不思議に思ったくらいである。たぶん活気のない連中ばかり目にして、きっとがっかりしたのではなかろうか。
始めはそんな印象だったが、やはり営業の虫が騒ぎ出したのか、「どいつもこいつもヘリクツばかりで、どうしようもない」と雷を落としはじめた。頭でっかちで商売というものを知らない我々を鍛え直そうと、新任部長が大阪支店長時代に面倒をみたという、とあるモ-レツ事務機販売代理店に「研修」の名目で送り込んだのである。
「泥くさい真の営業を身体で覚えろ」、というわけだが、そこまでして事務機を売っているのかと、感心したり情けなくなったりした。確かに売る根性はすばらしいが、論理的ではない。客は完全に迷惑顔で、うるさいから置いていけ、という感じである。社長と奥さんだけの小さな工務店にコピ-機が3台もあるというのは異常である。
この研修、新任部長の思惑がまったくはずれて、今さら俺たちには「あんな強引な営業はできない」と確信を持つにいたった。しかし当時のリコ-は既に営業改革に着手していたのである。当時の私には気ずいていなかったが・・・つまり、今流行りの「お客満足度」を全面に出した営業改革へ転換しつつあった。30年も前に実行していたのだからリコ-は、やはり凄い会社である。あとで気ずくのだが今回の部長人事も、営業改革の一環であったわけだ。(矢間伸次)