生き残りのシナリオ(17/17)
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日本研究所が閉鎖された時にはボワレはもういなかった。だが結局は同じことが閉鎖されたもっとも大きな理由だと思うとボワレは解説してくれた。もちろん予想しなかった円高で、当初の予想の2.5倍の経費が日本研究所にはかかっていたことも大きな原因だ。だがもう一つ、これは思いがけないことを聞いた。日本研究所はブルースファーイーストのスコット社長とボワレとの間で最初から5年間の契約で開設されたと言う。そのあとは1年ごとの契約で、毎年どうするか見直すことになっていた。結局は7年間で閉鎖に至ったが、スコットとボワレの間の契約に何らもとることはない、と言う。私はしばらく言葉を失った。
確かに日本研究所は社内組織的には米国研究所に所属していたが、私たちの身分はブルースファーイーストに所属していた。そのブルースファーイーストのスコットとボワレの間でそんな契約が交わされていたとは思いもよらなかった。私の質問に対して、この契約の存在を芝原所長が知っていたかどうかは、ブルースファーイーストの問題であり、ボワレは関知しないと言う。
少なくとも私は今初めて知った。知っていたらいたたまれない思いに苛まれたことだろう。知らなくてよかったとつくづく思う。もし万一芝原所長がその契約の存在を承知していたと仮定したら、人一倍責任感が強く、所員思いだった彼は、おそらく大変辛い最後の数年間を過ごしたに違いない。改めて心の中で手を合わせた。そう言えばうっかりしていたが、確か今日は奇しくも芝原所長の命日でもあったはずだ。
ボワレから私のテーマ提案にはいつもうまく騙されて乗ってしまった、との冗談に紛らわせたお褒めをいただいた。彼への毎年のレビューに、私がどうやって毎回新しい具体性のあるテーマをいくつも用意できたのか質問を受けた。私はただグル-プ員に研究開発の2、3の基本を繰り返して理解させ、彼らにはそれを厳守することを要求しただけだ、と答えておいた。
パーティーもお開きになったらしく、去っていく参会者の声が向こうから聞こえてくる。辺りはもうすっかり暗くなった。
気がつくと先ほど地面からゆっくりと舞い上がった蛍が、今はもう10mを越すほどの高さの樹上に、それぞれの居所を決めてほぼ動きを止め、一斉にタイミングをあわせてまるで豆電球のように明滅している。これは真夏のクリスマスツリーだ。
こんな豪華なクリスマスツリーには不釣合いなのに、私の胸の中の隅っこで「蛍の光」の旋律が低く静かに流れている。私のゲームはまだ終わっていない。私は生き残る。小さい日本の狭い我が家に向けて明朝エリコットシティを発つ。(クリヤ・ビュー)
この「クリヤ・ビューさん」の遺稿は今回で終了です。実際に研究テーマを探索している技術者さんからの反響は大きかったです。又、米国企業の実態も参考になったと、という意見もいただきました。ありがとうございました。(矢間伸次)
ボワレの答えは真偽はともかくとして明快だった。芝原所長が解任されたのは、日本研究所の成果が米国研究所のそれに比べて目立ちすぎたこと、研究テーマ決定に際して自主性がありすぎたこと、そしてそれらを我々職員を代表して所長が日本の研究手法として強くアピールしすぎたことだと言う。そのすべてがワトソンをトップとする米国研究所に反感を抱かせたこと、そしてボワレが如何ともしがたかったのは、スピッツ社長が日本研究所を訪問した時、彼自身が指示した事業部スポンサー制を、日本研究所が批判していると判断したことだ、と言う。ボワレは日本研究所の成果を創設者として誇りに思って終始弁護をした、だが最後のスピッツの指示には抗しきれなかった、と彼は言う。
そう言えば、1992年8月、スピッツ社長がブルースファーイーストを視察に訪れた。前夜に関東地方に大型の台風が上陸したのが印象に残っていてよく覚えている。早朝からスピッツ社長一行とブルースファーイーストのスコット社長の一行が、かなりの時間を割いて日本研究所を訪問した。日本研究所の成果及び今後の研究開発テーマ、方針のレビューが芝原所長自身によって行なわれた。この時私たち職員は同席を許されず、そこで実際にどのような議論が行なわれたのか知る由もない。だがレビューのあとで、ブルースファーイーストの日本人役員が私に、芝原所長は堂々としていて立派だね、しかし少しばかりヒヤヒヤした、と感想を漏らしてくれたのを思い出した。
私が一貫して事業部スポンサー制に強く反対なこと、スピッツ社長のとった方針に反対だったことは既に述べた。これは私だけでなく、他の職員もほぼ同じだったのではなかろうかと思う。それを芝原所長は代表してスピッツ社長に直接伝えようとして下さった。それが直接の原因で芝原所長は解任された。やはり私は芝原所長を死に追いやった人間の一人だったようだ。潔くこの呵責に耐えよう。(クリヤ・ビュー)
もうアメリカに来て2年半になるが、最初から短期の滞在になるつもりだったから、引き上げるのは簡単だ。家を処分して、帰る準備ができてから最後にクルマを2台処分すれば終わりだ。子供たちの学校の心配などがないから気楽である。
それでもあわただしく、米国研究所が閉鎖されるまでの2ヶ月間を過ごした。荷物の発送も終わり、あとは閉鎖のパーティーに出席した後、カリフォルニアにしばらく滞在して、2年半の間思っていてあまりできなかった観光を妻と2人で楽しんでから日本に帰る。
6月の中旬、最後の米国研究所関係者だけの閉鎖パーティーが、研究所内のグリルで行なわれた。もう多くの人がそれぞれ次の新しい生活に向けて出発している。思ったよりさびしい閉鎖パーティーだ。100人に満たない。ワトソン所長の簡単な挨拶の後、何人かが挨拶に立つ。その人たちの思い出話を聞きながら立食パーティーに入った。それまで気がつかなかったが、ボワレが出席していた。彼の挨拶を聞きながら、忘れかけていたことを思い出した。今日のパーティーはボワレにつきまとうことにする。最後のチャンスだ。ボワレをなんとか建物の反対側の池の近くのベンチに連れ出す。
もう夕暮れが迫っている。芝生に覆われた地表から、1匹、2匹と、やがて無数の蛍が光を明滅させながら飛び立つ。そしてふわふわと上下に漂いながらゆっくりと、それでも少しずつ高さを増していく。ずいぶん昔に見た日本のホタルより光が強いようだ。その代わり、光を放っている時間が短い。なんとなく、ホタルにまでこの国の緊張感が張り詰めているようだ。
ボワレは在職当時と変わらず元気で快活だ。そのはずで、確か私より2、3歳若かったのではないかと思う。額は知らないが、ブルース社でのストックオプション、そのほかで得た資金を元にコンサルタント会社を設立して、それが順調だと言う。冗談に違いないが、私に一緒に仕事をしないかと誘ってくれた。もうアメリカの会社はこりごりだ、今度は日本の会社に勤めたい、と言って笑って断ったがこれは本心だ。頃合をはかって、私はかねて確かめてみたいと思っていたことをボワレに尋ねてみた。(クリヤ・ビュー)
皮肉なことに、ここ数年、私は電子材料事業をブルース社が売却するのを一生懸命手助けしてきたことになる。そして、最後の決定打までも打ってしまったようだ。そしてそれがもとで、皆が職を失う。これも私の研究開発屋としての宿命なのだろうか。
電子材料グループの研究者は、全員がリバーダム社のスイス総合研究所に受け入れられることになった。ただし、何人かスイスに引っ越していくかは知らない。私にはもう関係のないことだ。私はスイスへの誘いを丁重にお断りした。日本に帰る。もう予定の2年間は過ぎた。日本もそろそろ景気が上向きはじめているころだ。少し骨休めをしたらまた、仕事探しをする。
続いて、35年間続いた米国研究所が6月をもって閉鎖されること、あとに包装材料総合研究所が開所されることが発表された。そして8月の株主総会の賛成を得て、親会社のブルース社が子会社の包装材料事業部に吸収されるという形をとって解散され、新たにビッグバックという社名でスタートする、ということが発表された。(クリヤ・ビュー)
日本研究所の時は私も悩みが多かったが、今回は申し訳ないけれども皆のこうした心配や不安は私には関係ない。部下を持つことを拒否しつづけたのも、これを恐れたからにほかならない。
時間は経過することを待ってはくれない。売却先がリバーダム社と決まった。皆の予想でも、リバーダム社をあげる人間が一番多かった。というのは、数年前にも電子材料事業がリバーダム社に売却される、との噂があったからだ。噂では、このときは交渉途中でリバーダム社がブルース社の技術が思いのほか貧弱なことから買収をあきらめた、と言われている。
リバーダム社はスイスに本拠を置く世界企業で、医薬などのファインケミカルからエポキシ樹脂、感光性樹脂などのスペシャリティケミカル、そして汎用プラスチックまでをカバーした総合化学会社である。印刷配線基板用のレジスト材料では古くからの老舗であり、特に古いタイプのマスクではヨーロッパ、米国を中心にマーケットを独占し続けてきた。しかし、新しいタイプの開発を怠り、そのために現在はそのシェアを大きく落としている。だがしかし、依然としてその影響力は大きい。そういったことから、ブルース社のマスク、レジストの無溶媒化技術は確かに彼らにとって魅力があったと思う。だがやっぱり、決定打はSMPだったろう。(クリヤ・ビュー)
包装材料事業部は高成長を続けてきており、ボルチモアにある現在の事業部ラボが手狭になってきており、いずれは拡張工事が必要とされている。米国研究所の現在の建物にラボを移動して、研究所の包装材料グループと合体する予定と聞く。包装材料グループは全員がレイオフをまぬがれるだろう。元々彼らは安心しきっている。分析グループは、すでに外部の受託分析・評価を2年ほど前から開始しており、しばらくは包装材料事業部からの援助を受けられるからあまり大きな影響は受けないだろう。
間接部門にしても、特許部、企業化計画グループでかなりのレイオフが予想されるが、事業部ラボが引っ越してくれば、ほかはそれほど問題はないだろう。これだけの土地と建物だ。誰かが面倒を見なければならない。
問題は電子材料グループだ。包装材料事業部の中で、電子材料事業はマーケットがまるで違うし、技術も異質である。さらに整理される運命にある。私が電子材料事業がまもなく売却されるに違いないと確信していることは誰にも話したことはない。だが、事業部内では、例の新聞発表以来沢山の憶測が飛び交っている。研究所は情報が少ない、とはいうものの、いやそのためにかえって推測が推測を呼んで今では皆が息をひそめてその日が来るのを見守っている。
私はたとえ事業が売却されても、ほとんどの研究者はその気があれば売却先に移れると思う。ブルース社の電子材料を買うとしたら、それは現在の事業を買うのではない。今年からようやく黒字になるかどうかの部門である。買うとしたら、最近の新製品、そして事業部長が故意にリークしたSMPの将来性だ。つまり、我々の技術力を買うのだ。
問題は、どこが買うかだ。いや、どこが買ったとしても問題は大きい。20名のうち、研究補助職が9名、研究者が私を入れて11名。うち女性が5名。独身者は1名だけ。ほとんどが共稼ぎをしている。皆この土地を離れることをひどく恐れ、嫌っている。幸いにもこの周辺の企業に売却される、などということは間違ってもない。そしてまた、この周辺には化学会社はブルース社を除いてはない。ほかに仕事を見つけるとしても、化学屋はこの土地を離れねばならない可能性が極めて高い。(クリヤ・ビュー)
この時点で私の興味は売却先が果たしてどこか、という形に移った。SMPはそれが実現できれば確かにすばらしいが、そんなに簡単にブルース社に開発できるとは思わない。その力を持っている企業として、日本の数社と、アメリカではシスコム社、そしてスイスのリバーダム社などが私にすぐ思い浮かぶ企業名である。
またすでに皆が折り込み済みのニュースが入った。水処理材料が売却されて既に10ヶ月が経過している。関係者以外の人間はもう忘れかけていたころに、待ちわびていた訳ではもちろんないが、建設材料事業部の売却が決まった。相手は業界以外の人間にはなじみの薄い、もちろん私は初めて聞くロッテという会社だ。ブルース社の建設材料を吸収すると、それでもこの業界では世界一のシェアを持つことになる。例のごとく米国研究所から何人か去っていった。年配者ばかりである。この辺りは日本とあまり変わりはない。
この売却で、ようやくアスベスト問題にも目途がたった。そして、ついに化学会社としては全米でナンバー4の位置を長く保ったブルース社は、包装材料事業部だけを残す、年間売上高約2.000百万ドルの企業になってしまった。だが、図体は小さいが、無借金の、しかも20%近くの年間成長率をこれからも当分続けるだろう、超優良企業となった。
これでこれまでの部門は必要がなくなった。まだ300人ほどが残るブルース社本体と、既に200人を割った米国研究所の整理が必要である。米国研究所に関して言えば、間接部門を除くと、包装材料グループが約60名、分析グループが約40名、そして電子グループが20名である。(クリヤ・ビュー)
去年と同じように、友達からの年賀状をながめながら、また同じようなとりとめのないことを考えてしまった。でも、私たちの世代もまだまだお役にたてそうに思えて少し気が楽になった。どうやら、日本がこれからも負けずに頑張れるような気がしてきた。真にクリエイティブな新製品で日本が勝ち続けるのなら、誰も文句を言わないのではなかろうか。人まねの本邦初製品の高品質化で勝つから、どこか軽蔑の眼差しで見られ、非難を受けるのではあるまいか。
アメリカに来て3年目の年が明けた。私が長いクリスマス休暇をとっている間に、無溶媒マスクがカリフォルニアのある配線基板メーカーで使用可能の見通しが得られたとの連絡が電子メールに入っている。昨年8月にテストが開始されたばかりだから、事業部ラボも良く頑張った。それにカリフォルニアは大気汚染の問題で、特に溶媒規制がきびしい。だから、少しくらい性能に問題があっても顧客が無理をして採用した可能性が高い。メインのターゲットの東南アジアで通用するかはまだまだ分らない。少し割り引いて考える必要がある。だが、それはそれとして、とにかくいいニュースだ。
今年は何事もなく、という訳にはいかないのは間違いない。だが、今のところはほかにこれといって目立ったメッセージは入っていない。期限に追われて昨年11月に提出した例の報告書に関連していそうな情報は見当たらない。かれこれ2ヶ月がたつ。
そろそろ何か変わった動きがでてきて良いはずなのだが、研究所はいつも情報のはざまに置かれている。何かがありそうだ、と気配を感じることなく、いきなり決定済みのことがらが飛び込んでくる。注意深く電子メールに入ってくるメッセージに注目する日が続く。
今日から2月だ。昨日午後、無溶媒マスクを新製品として業界紙で新聞発表した、との電子メールが包装材料事業部長名で入っている。これまで私の知る限り、電子材料関係で、新製品の導入に際して新聞発表したことはない。異例とみてよい。何かある。私は図書室に急いだ。あまり大きな記事とは思わないが、それでもかなりのスペースを割いて、確かに包装材料事業部長の顔写真入りで報道されている。
見出しを見て驚いた。確かに無溶媒マスクという文字も見出しの副題に入っているが、大見出しは「夢の多層配線基板技術」とある。例のSMPのことだ。
私は機会あるごとに、SMPは夢の技術だがまだまだそれが技術的に可能かどうか見当がつかないこと、しばらくは研究の段階に過ぎず、開発段階に持っていくにはあと数年はかかることなどを念をおしておいた。それに、この技術のコンセプトが明らかになってしまうと、これを開発する力をもっている会社の多くは争って検討を開始するだろう。残念ながら、技術力に関しては、ブルース社の私たちの研究グループよりも数段上の企業がいくらでもある。すでに特許は1件だけ出願してあるが、応用範囲が広い技術なので到底短期間に押さえ切れるはずがない。こんな形で新聞発表になると、今はたとえ我々が先行しているのは確かでも私は勝てる自信がない。
新聞記事を見ると、事業部長の発言は確かにマスクについてだけ、はっきりとした新製品の発表になっている。SMPについては、あいまいな形で製品コンセプトを述べ、現在開発中であるとしてある。そして、そのコンセプトがどんなものかが少し具体的に、囲みのインタビュー記事として解説されている。インタビューされているのは、我々との共同研究の相手として現在契約交渉中のATTの開発責任者だ。彼はこの技術が実用化可能な技術だとしたら、とした上で、その重要性を説き、そして彼らとしても大きな関心をもつ技術だ、と結んでいる。
包装材料事業部長はブルース社には珍しくしっかりした技術的バックグランドを持った人で、しかもブルース社はこのエリアでは超一流企業である。その彼がこの記事を不注意でリークさせたはずはない。無溶媒マスクの発表という形の中で、むしろ意図的にSMPをリークさせることが目的の新聞発表だったとしか私には思えない。その上、このリークは決してATTと共同研究契約を結ぶにあたってブルース社に有利に働くとも思えない。だから、私はブルース社が相手がありさえすれば電子材料事業を売却することを決心したに違いないと確信した。いや、具体的な売却先がすでに複数現われ、現在、条件の最後の詰めが行なわれているものと推測した。ATTとの共同研究契約が延期されたのもそのために違いない。おそらく近く売却発表が行なわれるに違いない。(クリヤ・ビュー)
企業は今後、効率的に誰もが利用できる形で情報を分類、整理、蓄積していく手法を積極的に確立していかなくてはならない。情報を蓄積する入れ物は今はいくらでもある。問題はそれを自社の事業に合わせてどういう形でどういう風に分類して蓄積するかという方法と、実際にあふれている情報の分類、蓄積作業を誰がやるか、ということである。
蓄積する方法の確立と蓄積作業は研究開発の実務経験者しかできない。幸いなことに今は実務経験のある我々の年代の人間があまっているはずだ。彼らにその能力を十分発揮してもらう。そしてこの作業のついでといったら語弊があるが、彼らには得意分野での技術動向の分析まで担当してもらい、その過程で生まれてくるはずのアイデアを盛り込んだ報告書を作成してもらう。良いアイデアを持っていながらそれを実行できなかった、あるいは実行させてもらえなかった人は結構いるはずだ。これまであまり新しいテーマ探しをしたことのない人も沢山いると思うから、今まで自分でも気がつかなかったアイデアが姿を隠して頭の中に詰まっている可能性がある。やってみると実務経験があるだけに現実的で面白いアイデアが結構でるはずである。ブレーンストーミングなんかよりはずっとよい。
こうして経験者のアイデアを盛り込んで作成された分析レポートと、同時にできたデータベースを若い技術者に活用してもらう。これらを活用するのに時間はそんなにかからないはずだ。盛り込んだアイデアは決して彼らに実行を強制するためのものではない。人は人のアイデアによって創造力を刺激されて、もっと洗練された自分独自のアイデアを出すものである。これは私が何度も経験したことだから確かである。(クリヤ・ビュー)
年功序列制はすでに崩れつつあるようだ。だがこの崩壊は、今までのところは、賃金制度が破綻したから、そして年功序列によるピラミッド構造がキープできなくなったからというにすぎない。私は日本がここまでこれたのは年功序列制のお陰だと思っている。日本は情報の共有を円滑に行なうためのジェネラリストを重視してきた。年功序列制がこれには有効だったし必要だったと思う。
ところが、これからは情報の量が桁違いだ。そしてそれを処理して円滑に共有する、もっと乾いたコミュニケーション「技術」が進歩した。これまでのような、ジェネラリストはもう必要ない。つまり、これまでは年功序列制が必要だったが、今では年功序列制は必要なくなりつつある。
この現実をよいチャンスとして捕らえて、人を努力させるための新しいドライビングフォースを作り出していけたらと思う。年功序列制はこれまでは必要だったが今はもう必要ない。クリエイティブな成果を出した人にはポジションでなく差別化された賃金で報いることを受け入れていくべきだ。ただし、少しくらいの差別化では緊張感を増す効果がない。ドライビングフォースにはならない。何かを成し遂げたら一生優雅に暮らせるくらいのドラスチックな差をつけなくてはいけない。スペシャリストは能力と成果で評価できる。だからそれが可能なはずだ。
すぐれたリーダーやクリエイティブな人間を育てるのに、根性論は通用する時代ではない。害あって益なしだ。今は昔と違ってとんでもない量の情報があふれている時代である。そこで部下を与えずに根性論を振り回したのでは、根性があって優秀な人間は潰れてしまう。彼らにどうやって努力をする時間を与えるかを真剣に考えるべきである。エリートを選りすぐって特別扱いをするのも一つの手である。だが、誰が本当にエリートたる人間か、誰もが納得できるようには判定ができないという難題がある。それでは差別された人間の不満を招く。
ここで最も有効な手は、情報を効果的に、効率的に与える、あるいは共有する方法を編み出すことである。頭のいい人間は情報を理解して分析するのが早いし、動向を的確に見抜く。
一方、能力の差がでにくくて、時間がかかるのが情報の収集、整理と蓄積である。これを個々人の手に委ねていたのでは、少なくとも研究開発の分野ではこれからは全く勝負にならない。個人としてのキャパシティーを越えた問題に遠の昔になってしまっている。企業としてこの問題に真剣に取り組むかどうかがこれからの勝負を決める。
企業の目的に合わせて、使いやすく分類、整理、蓄積された情報を用意して、望む人間は誰でもこれにアクセスできるようにする。そのデータをどう生かして使うかで、優秀で努力のできる人間、クリエイティブな人間と普通の人間との差ははっきりと出る。こうしておいていつまで経ってもできない人間は差をつけられて当然である。機会が均等なら皆が納得する。(クリヤ・ビュー)