(1001)千夜一夜の物語の終わりとこれから
(1000)論理と強欲
(999)論理とシステム
(998)論理と動物的感覚
(997)日本人は論理的か?
(996)論理と感性
(995)「文化」とは何か
(994)江戸時代:箱庭の美
(993)戦国と自治
(992)日本のルネサンス:鎌倉から戦国
6年前の9月(2005年9月)、日本アイアール(株)の矢間社長から、”今回、「あいあーる村塾」というブログを開設したので協力してくれ”、との要請を受けた。”ああ、いいですよ”、と気楽に引き受けてから、どうせ書くのなら、シェーラザード妃(Scheherazade)が王様に毎夜物語った千夜一夜物語(The Book of One Thousand and One Nights)のごとく、5年間で1001回書いてみようと決めた。
実際は、今日の日付でわかるように、5年間の予定が6年かかったけれど、どうやら1001回目を迎えることができた。
この間、ネタの不足から同じ主題を何度も繰り返したりして、もし続けて読んでいただいている方が居たなら、”この話はもう前に何度も聞いた”、なんて不満を持たれたかとも思うが、同じ話を繰り返すのは年寄りの『特権』であるとして、お目こぼしを願うことになる。
書くということは自分の考えを整理する、知識の不足部分に気がつく、論理的にまとまっていない事がばれる、などなど、思考のまとめに極めて役立つ作業であり、その意味では個人的にはこの千回は十分に意味ある作業であった。反面からいえば、他人様に何ほどかのヒントなどを与えることができたかどうかは、まったく不明のままである。
この6年ほどの間に、世の中は変ったようでもあり、本質の流れは何も変っていないとも言える。例えば、気象異変による地球環境の変化は6年前と比べると誰の目にも(どんなに鈍い人にも、という意味)明らかなほどに、極端な様相を見せるようになった。変化は加速されていくので状況はこれから毎年毎年悪くなっていくだろう。地球自然はすでに回帰不能地点を越えているから、残念ながら、もう元に戻す手立てはない。
日本国家の財政は、この6年間でその借金が300兆円ほど増えて、今や千兆円という天文学的数字になっている。誰一人このような大きな桁の数字は数えられないから、これがどれほどすごい話なのか感じることができない。したがって、まあなんとかなるだろうと(思いたいので)毎日を過ごしている。この借金の貸主は、米国などとは異なり、その大半は日本国民であるから日本丸という船は、貸主が騒ぎ出さない限り、まだ沈まない。俺は貸した覚えがない、とおっしゃる人もいるだろうけれど、”あなたの預金や生命保険の掛け金はすでに国債に化けてしまっており、通帳の数字だけが残っているだけですよ”、ということである。
この6年のちょうど中間点でリーマンショック(2008年10月)があった。これをきっかけに世界は80年前と同じように大恐慌に突入するのではないかと多くの人が怖れたが、大急ぎの処置として注入された巨額のお金が効いて、病状は安定したかに見えた。しかし、この資金投入は麻酔剤のようなものであり、病状が好転したのではなく、意識と身体が動か無かっただけなので、その麻酔が覚めかかった今、アメリカを先頭とするいわゆる先進諸国の病状は危険水域を越えていることがはっきりしてきている。これが入院患者であれば、”そろそろ親類縁者に連絡した方がいいのではないか”、と肉親が考え出す頃合である。
海外地域において、私がもっとも関心を持ってオッカケているアメリカ合衆国社会のこの6年間での崩れ方は、痛ましいという形容詞がもっとも似合うほどであり、崩れが始まった1980年代前半からはすでに30年の時間が流れているので、その時間から見ればそろそろ末期症状とみなせる6年であった。
この6年、お隣の目覚めた巨人中国の大躍進はますますすさまじいものがあるが、きれいな青空ときれいな水を犠牲にしての大躍進がいつまで続くのか、心配性の老人の心境で見守るしかなかった。現役のビジネスマンとして最後に中国を訪れたのは1997年のことだから、この大変化から見れば遙かかなたの昔であり、中国について何ほどかを語る力はもう私にはない。
私自身はこの間、めでたく「前期高齢者」のステージに入り、来年からはその後半に入る。余談だが、厚生労働省の定義によれば(嘘)、60歳から64までが「高齢者予科」であり、予科すなわちまだ半人前なので年金はもらえない。厚生年金という保険を払ってきたのは60になれば年金がもらえるという契約の下でのことであったから、この高齢者予科という新たな設定は国による契約違反であり、詐欺といってもいい。そして、年金がもらえるようになる65歳から74までが「前期高齢者」、75から84までが「後期高齢者」とされる。その後85歳以上は、これは公表されていないが、「方カン高齢者」とされている。その意味は「片足棺おけの年寄り」である。100歳以上は「UHO」(ユーホー)と定義されている。これは「Unidentified Human Object」すなわち戸籍上は存在していても実際の存在が確認できない超高齢者を指す。
馬鹿話をやめてまじめに戻ると、次回1002夜からは、私が生きてきた時間と日本の戦後がちょうど重なる(物心ついたのが4歳つまり1946年・昭和21年)ので、その時々の自分の目で見た日本と世界を振り返って旅してみようと考えている。また、本年、3月11日はある意味で本当に戦後が終わった画期であったともいえるので、これからの日本と世界を考える上でも、ここらで一区切りしておくこともあながち意味なきことでもないだろう。しかし、ここ(あいあーる村塾)では、できるだけ硬い話は避けて、気楽な読み物に仕立てるつもりである。あるいは社会学風にみれば、これが、戦後社会を一庶民が眺めたひとつの記録になれば望外の成果となるだろう。
それでは次回からをお楽しみに。
(11.09.27.篠原泰正)
論理展開の上位に、すなわち論理を制御する上級要素として、感性(美学の一種)や動物的感覚(生き延びる本能)を置くべきであるとの話をここまでにしてきた。その延長線で考えると、論理の上に「強欲(greed)」というマイナスの要素が西洋世界にあることに思いが至る。
地球上の資源を、取り尽くす、捕り尽くす、狩り尽くす、刈り尽くす、掘り尽くす、汲み上げ尽くす、伐り尽くすという行為はその後の惨状を予想すれば、どこから見ても「論理的」行為とはいえない。西洋世界の人間は、どう見ても、この日本列島の民よりは論理的思考に長けているようであるが、この「XX尽くす」という行為はその論理思考と奇妙に相反する。
人間社会をどのように長続きさせるかを考えた場合、ある種の資源をとり尽してしまうやり方はどの角度から見ても「論理的」ではない。なぜこのような度外れの行為が生まれ、行われ、制限するのが難しいのだろうか。ひとつの答えは、西洋世界には、「強欲」に突き動かされて生きる人々が少なからず居るというところにある。論理の上位にこの強欲が置かれ、それが強大なエネルギーとなって世界中を駆け回らせる。
このような「XX尽くす」は論理の上位にあるがゆえに、論理的にその非を追求しても効き目がないというところに思い至る。強欲に突き動かされている人々に、”あなた方のやり方は人間社会と地球自然を壊すものだ”と論理的に非難しても、残念ながら「馬耳東風」、「蛙の面に小便」である。それならば、どうすればいいのか。上位の要素に対しては別の上位の要素をぶつけるしかない。
この「XX尽くす」強欲を押さえ込む、厳密に言えば押さえ込める可能性のある要素は「他者との共生」の心しかない。他者とはもちろん人間だけでなく、この地球上の動物・植物すべて命ある存在を指す。われわれが生きる上で必要な分だけ「とる」、つまり「いただく」という心は「強欲」の反対側に位置する。これは生き延びる知恵であり、今でもこの心にそっての生活様式を続けている集団に例えば北極圏に暮すイヌイットが居る。今はリザベーション(Indian Reservation)に押し込められているが元々北米大陸に暮らしてきた人々もこの心に従っての生活様式を続けてきた。アメリカ・インディアンが野牛を狩り尽くした話は聞いたことがない。
先に、この強欲が西洋世界の特質のごとき言い方をしたが、この列島の住人も西洋文明を全面的受け入れて以来、次第に、本来もっていたこの「共生」の心を失ってきている。もちろん、まだ全面的に失くしたわけではないから希望が持てるが、西洋流「強欲」への拒否反応が減っていることは確かである。
私は何を言いたいのか。
言いたいことは、「頭」の働きである論理展開の上位に「心」のひとつである「他者との共生」を置き、その上位でもって論理を制御し、同時に、「心」のひとつである「強欲」といった上位と対決しなければならない、という事である。あるいは、言い方を変えれば、論理展開は手段であり目的ではないということであり、その目的に「もっと富を、さらに富を!」という強欲が置かれていると、そのための手段としての論理展開が破壊をもたらす危険性があるということである。上位の心のあり方しだいで論理展開がとんでもない災害をもたらす危険な手段となる。
その心の在り様は、個々人のものであり極めて個性的なものであると同時に、その個性が受けてきた「文化」の産物でもある。そして、さらに言うならば、その「文化」は極めて強力な「文明」の影響をまぬがれない。例えば、この列島の住人は「自然との共生」を「文化」として持ち続けてきたが、上に述べたように、西洋式科学技術工業・金融文明の影響を150年受け続けてきたがゆえに、その「文化」がそうとうに怪しくなってしまっている。
そのような状況において、論理展開のひとつの産物である科学技術に対しても、その上位に感性や感覚(本能)やこの共生の心などを置いて制御する動きをとることが必要となっている。そこにおいては、ずいぶん壊れたとはいえまだオリジナル文化を維持しているこの列島の住民に期待されるところ極めて大きいものがある。「強欲」という心の病に冒されてしまった部分が、一般的にいえば、少ない事もその期待へのひとつの肯定材料と言えるだろう。
(11.09.10.篠原泰正)
この列島の民は大規模なシステム構築に弱いと言われている。これに対して、そんな事はない、と異論のある方も多いかもしれないが、少なくとも白紙の上に大規模なシステムアーキテクチャーを描く能力に乏しいことは否定できないであろう。出来上がったシステムをばらして同じようなものをつくり、さらにそれを「改良」していく能力は十分にあるけれど、オリジナルを生み出す力は十分といえない。
このことは論理的展開に弱いことにつながっている。システムは論理の上に構築されており、論理的につじつまが合わないところがあればそのシステムがうまく機能しない、あるいは誤動作を起こすことになる。
AとBとCの3種の構成要素で成り立っているシステムを想定する。
論理的に構築する上でまず必要な作業は、これらのA、B、Cそれぞれがどのような特性、あるいは属性を持つものであるか、その定義を明らかにすることから始まる。ついで、AとBとCが互いにどのような関係状態にあるのかを明らかにしなければならない。そして三番目に、互いの働きかけの関係をはっきりさせねばならない。AがBに何かを働きかける、それによってその後、BがCに何かを働きかける、といった動きの関係である。
このようなA、B、Cといった少ない構成要素のシンプルなシステムであれば、上に挙げた三つの事項を明らかにするのは難しいことではないだろうけれど、構成要素が何千、何万となる大規模システムは単純システムの量的拡大では収まらず、互いの関係が複雑きわまるものとなる。それでは、なぜ、この列島の住人はこの大規模イコール複雑システムを新規に構築するのに弱いのだろうか。
上に述べた三つの作業、定義、どのような状態(静止的関係)、他者への働き掛けの関係は欧州言語の構造要素でもある。具体的にいうと、ひとつの文章は、主体(主語)の属性を定義するものであるか、主体の状態を描いているものか、主体が対象(オブジェクト)に何かを働き掛けていることを述べるのかの三種ある。それしかない、とも言える。反対側から言えば、英語などの欧州言語は、ひとつのシステムを明確に描くための道具として不足するところがない。
”I am an American boy."
前の日曜日、ぼんやりとケーブルテレビのチャネルを回していたら、なつかしの「瀬戸内少年野球団」という映画をやっていた。そのラストに近い場面で、中学生になった子供たちに美しの夏目雅子先生が教室で英語を教えている。(日本の子供がアメリカンボーイというのも変な話であるが、戦後すぐの時代は英語の教材は100%アメリカのままであったのでこういうことになる。)これが「be」動詞をつかっての主体の属性定義文章の見本である。
”How are you ? I am fine, thank you"
この場合の「be」動詞は主体の状態、”調子いいよ”という今現在の状態を表している。もちろん、生まれてからこの方ずっと「調子いい」というハッピーな人の属性を定義づけたものではない。
”What is your name?"
これはまさにたずねられた人(主体)の名前という定義を明らかにしようとしている。これをスペイン語に直訳すると”Que es su nombre?” (*スペイン語では疑問文の頭にクエッションマークの上下逆さを置くがここでは記号がないので省略)となるが、スペインの人はこのような露骨な物言いを嫌うので、通常は”Como se llama?”-あなたは(他の人から)なんと呼ばれていますか-となる。この言い方では明確な定義づけの質問ではなく、”呼ばれている”という状態を表す言い方である。余談であるが、スペイン語圏で、このように名前を聞かれた人が日本人の能勢(のせ)さんであると話がややこしくなる。能勢さんが答える、”no se"。たずねた人は驚く。”No se.” とは英語で”I don't know.”の意味であるから、自分の名前も知らないのかと相手は驚く。*seはsaber(知る)という動詞の一人称単数形である。
”I will kill you."
物騒な言葉であるが、これが三番目の主体からオブジェクトへの働き掛けを現している。またまた余談だが、先のお名前は?と聞かれた人が日本人の吉本さんであるとさらに相手は驚く。”Yo shi moto."は"Yo si (te) mato.”と聞こえる。この意味は、「私は(Yo)必ず(si)(お前を-te)殺す(mato-matar殺すという動詞の一人称単数形)」であるから相手がギョっとするのも無理ない。
余談でそれそうになったが、この列島の住人がシステムあるいは論理展開に弱いその原因のひとつを日本語という言語に求める事ができる。
”この夫婦喧嘩は夫であるあなた「が」悪い。”、と第三者から裁定されれば、”まあ、そうかな(今回の状態の確認)。”と納得することにもなるだろうけれど、”あなた「は」悪い。”、と決め付けられると事は収まらない。属性として「生まれたとき以来ずっとあんたは悪人である」と定義されたようなものであるから、てにおは(助詞)ひとつの違いで血の雨が降ることにもなる。
主語の直後に置いた動詞で表現を制御する欧州言語と異なり、助詞という接着剤でペタペタと単語を張り合わせ、しかも動詞を末尾に置く日本語はよほど注意して構築しないと、はたしてこれは原子炉システムを述べたものなのか、それとも単なるだるまストーブを述べたものなのか、読む人(聞く人)が判別に苦しむことにもなりかねない。
言語のあいまいさはシステムのあいまいさに深く関係している。言語で表現する難しさを補うために、あるいは避けるために、この列島の民は得意とする図形表現(図面とかパワーポイントでの図形・グラフ表現など)に逃げ込む技をつかうことが多い。しかし、世界の人に語るにはやはり言語によって、システムのそれぞれの定義、状態、他への働き掛けをできるだけ明確にする努力が必要であることは今更言うまでもない。
(11.09.09.篠原泰正)
感性(美学)を核に置いて論理を展開するという話を前々回にした。簡単に言えば論理よりも感性を上位に置け、ということになる。そこでもうひとつ、論理と感覚という角度からも見てみたい。
文明社会には十分な電力が必要であるというテーマでもう一度考えたい。
この話を論理展開の面だけから考えると、”原子力発電がだから必要なのだ”、とか”自然エネルギー利用だけでは必要な電力がまかなえるはずがないからグリーン派は夢想家に過ぎない”、などの議論となって、決着をつけるのが難しい。論理の展開は現状の枠内でのみおこなわれるから、どちらの言い分にも理がある、といった引き分けになりかねない。
現状の枠内とは、例えば、この列島にある社会は大容量の電力を必要としているという前提に疑いを挟まず論議することを指す。その前提に疑いを持つには、論理力からは難しい。”本当にこれほど多くの電力を必要としているのだろうか”、”こんなに多くの電力を生産していて地球環境は大丈夫か”、などの疑問を生み出す力は、ひとつは前々回に挙げた美学であり、もうひとつがここでの対象である生物学的あるいは動物的感覚である。この感覚は生き延びるための本能(生存本能)と言ってもいい。
この列島の住人は石炭・石油などの第1次エネルギーと電力など第2次エネルギーの消費は、人口が地球人口70億の1.7%に過ぎないのに地球全体の6%にもなる。つまり人口一人当たり平均の3-4倍もつかっている。一人で4人分ほどもつかう贅沢をしているわけだ。さらに、正確な数字が手元にないので大雑把に言うしかないが、先進諸国といわれる地域を除けば、その他の地域の人々の10人分ぐらいを一人でつかっていることになる。
このことから、容易に、”地球の資源-石油などの地下資源だけでなく、大気、海、水、森林などの緑-を限られた人間がこれほど贅沢に消費して大丈夫なのか”、あるいは今現実にそうなってきているように、”先進国以外の地域の人々がその贅沢のまねをしてどんどん使うようになっても大丈夫なのかね”、という疑問が出てくる。
この疑問に対する答えは割合簡単であり、”大丈夫ではない”、となる。つまり、この調子で進めれば、早晩人類はアウトになる、というのが答えである。
このことを問題視する出所に「生物学的感覚」すなわち生存本能がある。このままの調子で走っていればヤバイ、と感じる動物的感覚が基盤にあって初めてこの課題を論じる土俵が出来上がる。
電力の問題に戻れば、一人当たりの電力消費を減らしていかねば、生存していく上で必要な環境が回復不能までに壊れてしまう、というところが出発点となる。そして、その次に、電力の消費を減らせば、これまでのような物質的に豊かな生活は続けられない、さあどうするという課題が出てくる。物質的豊かさの程度を年々下げながらどうやって生きていくか、そこにも生物学的感覚が必要になる。この感覚が薄ければ、あるいは未発達であると、物質的豊かさを手放すことへの心理的抵抗感は極めて強いから、成長という前提の下での論議しか出てこないことになる。
人類が生き延びるためには電力消費を減らしていかねばならないという動物的感覚から出発して、さて、それならばどうするという対策のところから論理的思考の出番となる。この場合の対策展開は、電力は増え続ける、あるいは最低でも現状の量が必要であるという前提から、どうやってその電力を確保するかの連理展開とは大きく違ったものになるはずである。
文明社会がもたらしてくれた豊かな物質と便利なシステムに慣れきっていると、この動物的感覚はずいぶん小さくなっているだろう。その感覚が薄れているまま、あるいはまったくないままにいくら現状分析と対策を考えても、”この先人類生き残り危険”という看板が立つ崖に向かって歩み続けるだけであろう。
論理的展開力を強くしなければならない。しかし、その根底に感性という美学と生存への本能という二つを据えておかねば、いくら論理的に精緻であってもその展開の努力は無駄なものとなるだろう。これが、この2回に渡って述べてきたところであるが、まだ展開が雑であり、どれほどの説得力があるかは極めて怪しいことは自覚している。
(11.09.06.篠原泰正)
この日本列島に住む住民はどの角度から見ても「論理的」とはいえない。ただし、これは私の感想であり、論理的に導き出した結論ではない。以下においてささやかではあるが論理的に追求してみる。
もし、この感想どおり、一般的に日本人と称される集団が非論理的であるとするなら、これは生来的なもの、つまり大昔からそうだったのかどうかという検証すべき事項が出てくる。私の見る限り、戦国時代の日本人は極めて論理的であったのではないかという感触がある。しかし、せっかくこの定着しかけた「頭の習慣」もその後250年も続いた鎖国時代にしぼんでしまった印象が強い。狭い列島の中で、しかもその中を200ほどにも区切られた狭い空間で生活していれば、論理的展開力を磨く必要性も感じず、しかもそのような能力は生きていく上でむしろ邪魔になったであろう。論理的に頭の中を展開しそれを言葉や行動で現すことは、多くの場合波風を立てることになる。場合によれば、記者会見で長机を前にして雁首並べ、”世間をお騒がせしたこと、深くお詫び申し上げます”と深々とお辞儀をしなければならぬ。
鎖国時代の賢い生き方は、問題点を深く掘り下げず、世間の慣習に従って、何事も”なあなあ”で事を丸く収める処方箋に従うことにある。言葉もできるだけあいまいにして、喜怒哀楽もできるだけ顔に出さないようにする。これが賢い生き方である。他者に何事かを頼むときも、”よろしくお取り計らいお願いします”とだけ述べて、何を取り計らってもらいたいかは決してあからさまに言わないこと。これがマナーとなる。
論理的展開が生き延びる上での武器になるどころか、むしろ生きることを難しくするという時間が200年以上も続くと、その後遺症は簡単に直らない。鎖国をやめてからもう150年以上にになるけれど、江戸期の病癖は完治されていない。
今、国家財政の問題、千兆円(つまり1京円)という列島開闢以来の大借金の問題がようやく取りざたされるようになったけれど、聞こえてくる声は、増税をするべきか否か、などの「対策」面での方法論議ばかりである。そして、致命的なのは、そのことを誰も不思議に思っていないらしいところにある。
千兆円もの一大借金を、誰が、いつ、なんで、どのようにこしらえたのか、その問題を掘り下げることなく、あたかもこの千兆円の借金が「自然現象」のごとく、どこからともなく湧き上がってきて”あれよあれよ”というまに膨らんでしまったかのように扱われている。この列島の住人は、台風や地震のごとき自然災害と戦争による空襲や原発事故のような人災の区別がつけられない、と前に書いたが、国家の借金という災害も「自然災害」として扱われているようである。
それによって、一番恩恵を受けているのは、言うまでもなく、金持ちのどら息子がラスベガスで散らしてきたごとくにこの借金をこしらえた人たちである。なぜこんな借金が出来上がってしまったのだ、という追求は行われず、”できた借金は仕方ない、さあみんなでどうするかだけを考えましょう”という「対策」だけが論じられるこの列島の有様ほど「どら息子」にとってありがたい場はない。枕を高くして今日も明日も寝られるわけだ。
”なぜこれほど借金が積み上がったのだ”という現状分析も無しに、”どこにシステムの問題があるのだ”、”責任元は誰だ”という問題解析も無しに、いきなり”どうしましょう”という対策から物事が論じられる社会は、どこから眺めても「論理的」にほど遠い。現状分析を、問題点摘出を、ごりごり推し進めればもちろん波風がたつ。これが鎖国体制化であれば、”まあ、そう硬い事言わず、みんなで仲良く痛みを分け合って何とかしていきましょう”とするのが生活の知恵であった。この列島は、しかし、残念ながら、今は、世界の中の一部として生きていくしかない。世界の中には、論理的に見事な嘘をつく優秀なエリートや、悪意の上に論理を構築することに長けた実力者などがうようよ居る。そのような環境の中で、村の中でのなあなあで事を穏便に済ますやり方しかできない者は、生存の可能性は極めて低い。ぼけっとしていたら、それこそ尻の毛まで引っこ抜かれることになる。
論理的展開力に欠ける集団は、自分のケツも自分で拭けない国際的未熟児として、残念ながら「絶滅危惧種」に登録される運命にある。地震や台風の発生という人智の及ばぬ事象とアホな人間(われわれほぼ全員を含めて)が引き起こした原発事故や千兆円借金という「事象」の区別もつかない集団は、世界の七不思議のひとつとしてその集団丸ごと世界遺産に登録されることになるだろう。
(11.09.05.篠原泰正)
言語での表現に関連して、この場(あいあーる村塾)で何度も、論理的思考と論理的表現の重要性を述べてきた。書きながら、その一方で、果たして論理的でさえあれば十分なのか、と自問自答していた。そこで、論理性の限界について考えてみたい。
原子力発電というシステムを題材に取り上げる。
原子力で電力を得るというシステムは、今回の福島事故で私を含めて多くの人が理解したように、国家の行政府(内閣府と形式上はその配下の霞ヶ関官庁)および、その官庁と同体の電力独占企業、および学会(原子力工学と放射線医療)という三位一体(鉄の原子力トライアングルと称されている)が、次のような「論理」でもって強引に推し進めてきたものである:
①電力は工業の発展と国民の豊かな生活向上に欠かせないものであり、しかも安い価格で供給する必要がある。
②従来、電力を得る手段は、水力発電と火力発電に求められてきた。しかし、水力発電はわが国の地勢からこれ以上の増設は無理であり、火力発電には次のような限界がある。
③すなわち、わが国は火力発電の燃料である化石燃料(石炭、石油、天然ガス)資源に乏しくすべて海外に依存しなければならない。
④さらに、(これは最近の付け加え)火力発電は二酸化炭素の大量の排出を伴い、地球温暖化を加速させる害をもたらす。
⑤従い、これらのことを勘案するなら、わが国は原子力による電力確保に大きく依存するしかないし、原子力発電は他の方法よりもコストが安い。
⑥なお、付け加えれば、原子力発電は「安全」である。
⑦さらに付け加えれば、核分裂の結果として出てくる廃棄物は、東北の僻地に(とは公式には言わないが)隔離堆積させ、なおかつ再利用を試みるから、問題なあーい。
この論理展開を示されることで、多くの人が”原発(原子力発電)は必要である”と納得してきた。また、上記の⑤⑥⑦には大いなる嘘があったことが今回の事件でばれたが、そういうことでもない限り、巧妙な嘘を暴くことはわれわれ一般民衆にはなかなか難しい。
論理展開は、物事が順調に稼動するように組み立てる上で、また、それでもそこで問題が起きたとき、その問題を解決し、組み立て物(システム)を改善する上で必要な方法である。しかし、そうであるがゆえに、既存のシステムを肯定した上での「改善」にしかその力が及ばない。
原発の「安全性」を論理展開の上で論じると、福島事故を受けてこれだけ「改善」したから”もう大丈夫”という論と”いやそれでもあぶない”という意見は多分論理的には決着つかず、多分最後は力での勝負となる。鉄壁の牙城を誇るトライアングル勢力と村八分を食った落ちこぼれ学者と無学の民衆連合の腕力勝負となると勝敗はほぼ明らかであろう。しかも、(多分間違いなく)津波が来る前にすでに「地震」によって福島の主要設備が破損していたという事実は隠されたままで「安全性」が論じられるから、基本情報に乏しい側は決定的に不利な状態に置かれたままである。(課題として、津波対策さえすればいいということに収められる。)
さらに、電力事業という面からその事業性を論理的に取り上げると、一般事業から見れば、その巨額の設備投資、巨額の運営費、巨額の廃棄物処理費、そして今回のような事故を起こせばその天文学的損害賠償費と重ねれば、どんなアホな事業者であっても、この原発という方式は事業として成り立たないことがわかるはずである。その論理を前にしての鉄のトライアングル側の反論は、多分、論理的ではない、”これは「国家事業」である”という主張となるだろう。この場合、論理的「論争」は成り立たなくなる。
論理的展開力はわれわれ一人一人ができるだけ高度に身に付けなければならない能力であるが、それだけでは何かが足りない。その何かとは、”生きることは何か”、に関連した美学である。あるいはその美学から出てくる「感性」と言ってもいい。
この列島の住民は、世界中でただ一人、原子力(原子核分裂エネルギー)による爆弾で20数万人が瞬時に焼き殺され、その数以上の人がその後の後遺症で命を奪われた歴史を持つ。核分裂で発生するエネルギーを利用する恐ろしさを身をもって体験した集団である。そこから、世界に向けて、核の廃絶を願う心が消えることなく共有されてきている。核分裂によるエネルギー利用は、それが爆弾にであれ発電にであれ、人間が手を染めてはいけない事項(分野)であることを心の底で知っているはずである。原子力発電というテーマを論じるとき、論理の以前にこの心、つまりいのちの美である感性を優先することが必要である。
硬い話になったが、論理を感性でまぶす、あるいは論理の芯に感性を置くことが必要であろうということをここで言いたい。この感性さえはっきりと持っていれば、論理的に何を言われようとも、”行ってはいけないことをしては駄目”、と毅然とした姿勢を保つことができる。
論理的であることは「頭」の働きの課題である。それゆえに、論理的に言いくるめられると態度が崩れる危険性を持つ。その一方で、感性は「心」の働きである。心は頭を制御できる。心さえ確かにもっていれば、論理の限界を知ることも、またその展開で利用されている嘘も見破ることができるし、隠されている事実をかぎつける「心眼」も働くかもしれない。
論理的展開力は生きていく上で必須の能力であるが、それ以上に、感性を磨くことが生き延びる上での原動力と言える。その感性は、この列島の上で長年積み上げられてきた「文化」を土台にする事で見つけだし磨き上げることができる。
(11.09.03.篠原泰正)
”「文化」とは何か”、という題名をつけてから、”しまった”、と思ったが、訂正するのも面倒なのでこのままで行く。
極めて単純化して言えば、「文化」と「文明」が私の生涯のテーマ、特にその両者の接点のあたりがテーマであるけれど、この両方ともに、定義するのは至難の業である。その一方で、定義もしないで「文化」云々、「文明」云々と言い散らしたり書き散らしたりしているのもなにやら落ち着かない。社会学の世界を土俵にしてきたためか、それともビジネスの世界で鍛えられたためか、因果なことに、使う言葉の「定義づけ」がいつも気になる。そのため、己の力量を無視して、なにやら定義づけを行わねば成らない破目におちいることになる。
この日本列島に住まう人間集団の文化は、数えて見ると5回ほど大きな変革の波を受けてきた。
一番目は1185年の平家滅亡と鎌倉幕府の創設を境とする。最終登場者としての平家に代表される京都朝廷を中心とする文化がここで崩れ去った。これ以降、形あるものはいつかは壊れる、いのち(生命)あるものはいずれ死ぬ、という無常観がこの列島の文化に根付くことになる。「もののあはれ」という優美な言葉で代表される死生観がその「無常」の土台と成っている。ここでついでに言えば、自然災害と人災の区別をつけない文化はこの無常観の故である。そのため、人間の仕業への怒り、例えば原発事故で家も土地も何もかも失ったことへの怒りが目に見える形で爆発しない。(国家の経営者にとってこれほど御しやすい国民は世界広しと言えどもこの列島が一番であろう。-余談)
二番目は、15世紀半ばの応仁の乱である。これは「下克上」の時代である。「下克上」とは文字通り、下が上を克する、つまりやっつけることであり、国司とか守護とか言ってデカイ面している者たちが張子の虎であったことがばれて、「階級」なんてのはその時その時でどうにでも変るシステムであることが実感されたときでもある。もちろん、ここにも「盛者必衰」の無常観が底に流れている。
三番目は1615年の大坂夏の陣の敗北である。「敗北」とするのは、私が関西の生まれであり、小学生の時に熱中した講談本において何よりも真田軍団(幸村を大将とする真田十勇士他)のファンであり、家康が大嫌いであり、鎖国という臆病な政策をとった徳川幕府に深い恨みがあるためである。これによって、応仁の乱に始まる上も下も無い自由な風は吹き飛んでしまい、箸の上げ下げまで規制する行儀作法と階級性の枠内にこの列島の住人は押さえ込まれることになる。これ以降の200年という長い時間はこの列島の「文化」に多大の影響を及ぼすことになる。
四番目は1868年の明治維新である。このときから、西洋文明という暴風雨にこの列島の住民は晒されることになる。「文明開化」の名の下にどれだけの価値ある「文化」が葬り去られたことか。
五番目は、1945年、太平洋戦争というアホな戦(いくさ)の終焉に始まる。このときは、西洋文明の最前衛であるアメリカという頭も心も極めてシンプルに出来上がっている集団によって、日本文化というものが根こそぎ否定された。もちろん彼らが銃剣でもって脅かして捨てさせたわけではなく、そのシンプル性においてアメリカーノに負けずとも劣らぬ追随者が多く現れたことによる。
明治維新以来今日まで、時間としては143年に過ぎない。大戦の終わりからは66年である。これほど短い期間に二度も「西洋文明」という大津波を受けたために、この列島の「文化」はずたずたにされたといえるが、どっこい、しぶとく生き延びているともいえる。
その「文化」とは一体何か。単純に言えば、「文化」とは人間の心掛ける行動様式であり、「文明」とは人間の頭掛ける行動様式、と定義づけることができる。心の多くは「感性」に土台を置いており、頭の多くは「知識」に土台を置いている。これがまず、「文化」とは何かの定義づけの一番目とする。なお、急いで付け加えれば、この列島の外の世界では、「感性」の代わりに「宗教」が心の土台となっているというべきであろう。いずれにせよ、「文化」を定義づけるには、この列島の外にも目を配らなければならないことは明らかである。
(11.09.01.篠原泰正)
例外はあるけれど、一般的に言えば、江戸時代は社会科学の学者先生たちからあまり良い評価を受けてこなかった。
今はもう廃れたけれど、マルクス主義経済学(通称マル経)からは、江戸時代すなわち「封建時代」のレッテルを貼られ、「封建領主」の下で「人民」は苦難にあえいだ「前近代」としてばっさりと「科学的に」切捨てられてチョン、の扱いを受けた。一方、そのマル経に対抗する近代経済学からも、この時代は資本主義に基づく近代国家以前の「前近代」として似たような扱いしか受けてこなかった。両者ともに、「科学」の名の下に人間社会を総合的に眺めることができなかったことを示している。
私の個人的好みから言えば、江戸時代は好きではない、ということになるが、その理由のほとんどは「鎖国」をしていたからという単純なことから出ており、人々が狭い列島の中に閉じ込められていたからである。元気のある者にはこの鎖国体制は耐え難い束縛であったろうと感じる。しかし、一方で、世界のことなど自分の生活に何の関係もないとして、その日その日を安穏に暮らしている人々にとっては、多分、それほど悪い時代ではなかっただろう。
江戸幕府創設の初期に起きた島原の乱以降、幕末の幕府・長州戦争までの200年以上、戦争と一切無縁の社会であったことは、同じ時期の、戦争に明け暮れていた欧州の国々と比較すればその特色は際立つ。国内だけでなく、もちろん、対外的にもいかなる侵略行為もとらなかった歴史は、社会体制がそれなりに整った国としては、特に欧州の目から見れば、まことに驚嘆に値する。世界史の中でこのような奇跡を持った国はまれであろう。
資本主義とは、その基本の性質として、止まることなく膨らんでいく力学に基づいており、そのために、その勢いは一国の枠内にとどまるものではなく、常にグローバルな展開を当然の動きとしている。そう見れば、もし江戸幕府が鎖国体制をとらなければ、江戸時代の資本主義経済は必然的に中国や東南アジアに進出することになったであろう。極めて内向きな、あるいは農民的な徳川幕府が外国の脅威を恐れて鎖国という異常な体制を敷く以前、すでに戦国時代のこの列島は「大航海時代」の極東地域の主役であり、海の向こうの地との貿易なんぞはごくごく日常的な行いであったことから見ても、鎖国さえしなければ、東南アジアの地が日本勢と欧州勢(主にスペイン、オランダ、イギリス、フランス)のつばぜり合いの場となったことであろう。つまり、17世紀、18世紀の初期帝国主義時代のドンパチがフィリピンやベトナムやタイやビルマの地で繰り返されたであろうことは十分に想像できる。初期資本主義の芽はすでに十分に戦国時代に養われていたからである。
鎖国によって、本来的にグローバル展開をせざるをえない「資本=お金」が国内に押さえ込まれたために、そのエネルギーのはけ口が得られず、社会は全体は極めて内向きの性向を示すようになる。紀伊国屋文左衛門などの大商人たちの吉原での大散財などは、このエネルギーのはけ口を押さえ込まれた商人資本のやけくその表れと見ることができる。せっかくの力を発揮できない苦しさは、元気のある者にとって大いなる苦痛であったろう。
一方、その資本力は、農業に向かうこともできなかった。農業すなわちお米の生産をもって経済の根幹とした、極めて百姓的な徳川幕府の政策の下に、三百諸侯(実際は二百ぐらいか)と称された大小大名たちの経済経営もひたすら「米生産」に頼ることになり、その厳しい統制の下では商人資本が投資されるチャンスはありえなかった。海外との貿易もだめ、農業投資も出番がない、となると、せっかく儲けた金も吉原で撒き散らすしかなかったのであろう。
話がタイトルから外れそうなので戻す。
米の生産を中軸に置いて、この列島を隈なく耕す経済の下で、この列島の自然美は箱庭的なものになっていった。「さとやま(里山)」という言葉が戦後になって発明されてその美を一言で表現することができるようになった、その里山とは、地形的に、田んぼと接する手入れされた山すそをさすのだが、その里山を含めた農村のたたずまいがついこの間まで、高度成長と列島改造で国中を掘り返すまで、この列島の自然美を代表してきた。はたち(二十歳)になるまで私が目にしてきたこの列島の姿のほとんどは、多分江戸時代のそれとほとんど変ることのないものであった。今、多くの人が郷愁を抱く田園の風景とは、外に向かうエネルギーを内に閉じ込めた結果、隅々まで手入れされた江戸時代に完成し維持されてきた自然の美である。外に向かう荒々しいエネルギーを押さえ込んでのものであるから、そこでの美は穏やかな優美な、言葉を変えて言えば、なにやら「なよっとした」美となった。
この江戸時代が200年も続けば、その「なよっと」した美がこの列島の「文化」として根付いたのも当然であるが、資本の展開を全面的に解禁した戦後の社会の中で、つまりせいぜいこの半世紀の間に、荒々しい資本の原理の下に、つまり文明の名の下にその文化が壊されていくことにもなった。それは、半世紀前までは普通に見られた江戸時代の名残の風景が消えていくことでもあった。
その一方で、同じ西洋式科学工業文明を採用しているとはいえ、この列島の姿と人々の心の在りようが欧州や北米と様々な面で異なり「日本らしさ」という美を失わずにこれたのは、この江戸時代につちかってきた美=文化が大きな要因のひとつと言えるだろう。
上に書いたように、江戸時代は私の好みではないけれど、この時代を「前近代的」といった無神経な言葉でばっさり切り捨てるみかた(観方)は、美の感性を持たない人のものであろう。
(11.08.12.篠原泰正)
もし、歴史そのものを人類の世界遺産として登録できるのであれば、鎌倉から戦国の終わりまでのこの列島の歴史は、間違いなく選考委員会の満場一致で合格するであろう。当時の中国、イスラム世界、欧州の歴史と比べてその華々しさになんら遜色もなく、人類が到達した社会のひとつの典型として輝いていることが認識されるであろう。
鎌倉・室町に続く、1400年代半ばから1615年までのおよそ150年のこの列島の歴史は、表から見れば、あるいは新聞の政治面から見れば、争乱に明け暮れていたかに見えるが、その裏には集団としての人間の豊かな活力があふれていたことが見えるだろう。
明治維新からのこの列島の住人の近代を眺めると、多分最大の欠点ともいえる自治意識と能力の欠落が目立つけれど、これは何も伝統的なことではなく、徳川時代250年の間にせせこましい枠の中に押し込められていた後遺症といえる。「自治」とは文字通り”俺たちのことは俺たちで決めて俺たちで経営する”覚悟とそれを実現する能力を意味する。
戦国時代はこの自治意識がこの列島の歴史上最高に高まった時代であり、事実、各所でその具体的実現が見られた。例えば、1487年に足利幕府の守護大名である富樫氏を放逐し、その後1580年石山(大坂)本願寺の信長との和睦までの100年近く、加賀の国を「百姓の持ちたる国」として地侍の連合が国を治めた歴史がある。彼らが共通の信仰としたのが一向宗(浄土真宗)であるため、この自治連合は「一向一揆」と歴史書では呼ばれることが多いが、「一揆」とはもちろん中央政権側から眺めた言葉であり、しいて名づけるなら「一向自治」あるいは加賀の国を「加賀一向自治州」とでも呼ぶべきものである。
話は飛ぶが、いつの時代においても、また洋の東西を問わず、中央(国家)政権にとっては「自治」運動とその実現は悪性のガン以外の何ものでもなく、もしそれが現れてくれば、あらゆる手を使って叩き潰そうとする。そして、一国の歴史は、その中央政権の側から描かれるのが通常であるから、戦国の時代も信長と秀吉による全国統一およびその後継者の家康による統一と平和に話の重点が置かれる。統一者たる信長に抗した加賀の門徒衆の自治は、したがって「一揆」という「反乱軍」のレッテルを歴史の教科書の中でも貼られることになる。そのためもあって、今に至るまでこの「加賀自治州」の歴史は大きく取り上げられることもなく、研究も十分になされてきたとはいえない。
また、魅力的な自治集団は、今の和歌山市を中心とした地域を仕切ってきた雑賀衆のそれに見ることができる。上に立つ大名を持たず地域地域の小集団が合議で物事(戦をするかどうかなど)を決める自治体制を維持してきた。彼らも結局は中央統一者である秀吉に蹴散らされることになる。
さらにもっと魅力的な自治集団は、大商人の連合である堺自治区にある。彼ら商人連合は中央の束縛を嫌い、町は自分たちの寄合いで経営し、誰の許可を得ることもなく遠くタイ、ベトナム、フィリッピンなどの地と大きな交易事業を営んでいた。秀吉による全国統一政権が出来上がらなかったなら、彼ら堺衆の自治区は当時のイタリアのベネチアやジェノアの共和国のごとき姿にまで発展したのではなかろうか。それほどの魅力と活力を感じさせる。この堺自治区の存在は、当時の秀吉にとって目障りであっただけでなく、その後の徳川幕府から今に至るまでの中央政府にとっても歓迎できない存在であるため、せっかくの輝かしい歴史もあまり世に知られていない。
自治とは美学のひとつの現れである。上からの支配を嫌い、自分たちのことは自分たちで決めて経営するという「誇り」の現れである。誇りとは己の存在を価値あるものとして高く評価するところから生まれるものであり、そのような意識もなくただ流されて生きているだけの人間には生まれない。この誇りは階級と民族と時代に関係なく、世界のどこにおいても持つ人は持つし持たない人は持たない。誇りが高いことと支配・強制されることを苦にしないことが一人の人間の中で両立することがありえないことだけを見ても、自治の基本に誇り(自負)があることははっきりしている。
この列島の戦国時代は、無秩序な争乱とその中からの全国統一という面からではなく、この列島の住人の多くが、己の存在に誇りを持って”自分たちのことは自分たちでやる”という輝ける活力と精神を示した時代であると認識したい。その精神は間違いなく鎌倉時代に確立した「名こそ惜しけれ」の美学から出ており、同時に、その自治を現実のものとしうる経済力がこの列島の各地で十分についていたことを示している。
(11.08.10.篠原泰正)
鎌倉時代(1185年設立)から戦国時代(1615年の大坂夏の陣で終わる)までの400年は西欧のルネサンス(Renaissance)の時代にほぼ重なる。この列島がもっとも輝いた時代でもある。
話は飛ぶが、太平洋戦争が終わりそのしばらく後まで、西欧世界以外で、西洋式の近代資本・工業文明を採用し自分のものにしたのはこの日本列島の住人だけである。なぜ、日本だけが成功したのかについては、日本の近代史を学ぶ人の頭の中で消えることのないなぞであり、日本近代史の研究とは一言で言えばその疑問への回答を探る旅でもある。この問いかけに対する私の答えは、この日本列島は西欧のそれと似たルネサンスを経てきており、精神の面でいつでも「近代」を迎える準備ができていたから、となる。江戸時代の鎖国という中休みはあったけれど精神はすでに西欧に伍するだけの成熟をしていたと言いたい。つまり、アジアの中で一人西洋式近代を取り入れることができたのは、私にとっては不思議でも何でもないと言うことになる。なお、近代資本・工業文明の展開に必要なお金、つまり資本の蓄積の面では江戸時代に準備されていたことも「近代化」成功の要因のひとつであるが、経済面での考察はここでのテーマではないので省く。
働かず花よ蝶よと遊び暮らしている京都の公家衆とその奴隷である律令の民というばかばかしい図式に対し、主に関東の自営農(武士)が叛逆して打ち立てたのが鎌倉幕府であり、それは前回にも書いた「名こそ惜しけれ」の倫理を核とする個の確立を土台にして成立した。彼らの独立心の強さは、例えば武蔵国の西部にある高麗郡を中心とした武蔵七党(横山、猪俣、野予、村山、西、児玉、丹)の特色として歴史にも記録されている。その名称からして、高麗郡こそ高句麗の末裔たちの移民先の中心であったに違いない。関東土着の民(奈良・平安朝の成立で律令制に組み込まれてしまった)と高句麗の民の混血の中から成立したであろうと思われる「名こそ惜しけれ」の精神美学または個の倫理感の確立は、西欧のルネサンスに比肩しうる画期であった。
個の確立を土台にした鎌倉時代は、仏教においても、その雰囲気に似た禅宗を採用することになる。禅とは自分のことは自分で律する(自律)覚悟を自分で鍛えることであり、自分の飯は自分で稼ぐという(自活または自営)生活態度の上に成り立っている。
13世紀の蒙古襲来の時、京都の国家宗教(鎮護仏教)はただひたすらに護摩を焚き上げて”国家安泰、怨敵退散”を祈祷するだけであったが、自分のことは自分で守る(自衛)姿勢が当たり前の鎌倉武士は、全国から遠く北九州の地まで馳せ参じて蒙古軍と対峙した。この元寇の役を乗り越えることができたのは、神風の助けもあったのかも知れないが、その根底には、自律、自立、自衛、自営の個の確立があったればこその勝利であったといえよう。なお、余談であるが、蒙古軍の先鋒は元に征服されてしまっていた朝鮮半島の高麗国軍であり、これは唐に滅ぼされた高句麗の二代目国である。戦役の後も久しく博多の民がその恐ろしさを語った”コクリ(高句麗)、ムクリ(蒙古)が来た”にその事実が語られている。坂東武者が高句麗移民との混血であるとする私の見方がもし正しければ、600年の時を経てその末裔同士が北九州の浜辺で死闘を繰り返したことになる。
このように、日本におけるルネサンスはまず鎌倉時代に個の精神の確立で始まる。なお、仏像などの造形美においても個の確立に基づく写実がこの時代に始まるのだが、私の知識はそこに深入りするだけのものがないので、その話題は避けることにする。
長い(約60年)南北朝の争いの後、北朝の大将の足利氏(三代目義満)が開いた室町時代が始まる。(幕府は1336年に尊氏によって開かれていたがここでは南北朝の終りからを室町時代とする。)応仁の乱(1467年から)以降を戦国時代と区分するなら、室町時代は100年に満たない短い時間であったが、この間に、鎌倉の個の精神の美学とは別の分野でひとつの美学が確立する。このもうひとつの「きれい」は様式美としてくくられるであろう美学である。
様式には動的な面と静的な面があり、動的な様式美は「所作(しょさ)」として体現され、能から始まり茶の作法や日本舞踊などがその例である。静的な様式美は、例えば建築の様式に体現される。いずれの場合も、その基には「かた(型)」がある。話は飛ぶが、剣術もこの室町時代に始まり、これもひとつの動的な様式美を体現するものであると言えよう。
「所作」の型のひとつに「礼儀作法」があり、これもこの時代に確立され、今のわれわれのような雑駁(ざっぱく)な民衆にはほとんど失われてしまっているが、戦後しばらくの間までは日常の生活の中でも当たり前に見ることができた。(忠臣蔵における松の廊下で浅野内匠頭が”殿中でござる”として組み伏せられたのも、江戸城内の殿中における礼儀作法にもとるからであった。)
この時代に編み出された様式美の特徴は、「きれい」のひとつである整理整頓の美、および、清潔の美と倫理の美を掛け合わせた「清らかさ」の美をその中心に置いているところにある。「清らかさ」は簡素あるいは質素であらねばならず、「華美」の概念とは反対の極地にある。「清らかな所作」とはしたがってその進退が簡素でなければならず、結果として「すがすがしい(清々しい)」印象を与えるものとなる。
静的な様式美は、もちろん、優れた造形美の感性を要求し、その感性が豊かなこの列島の住人の存在があってこそ成り立ち、また発展したと言える。陶芸から織物に至るまでこの列島の住人が生み出してきたところの自然素材に基づく数々の手工業製品は、この造形の感性に基づく様式美の結晶であり、また、その様式に基づきながらも様式の束縛を突き破ったところに、芸術の高みにまで至る「作品」が生み出される。このレベルに至ることを「破格(はかく)」という。
明治以降の近代工業化時代において、この列島が生み出す工業製品が、西洋のそれと一味もふた味も違うものを出して来ることができたのも、その基はこの室町時代に確立された様式美の伝統のおかげである。
動的様式美である「所作」が「きれい」であること、そこに倫理的な要素を含めて人間としての「進退」が「きれい」であること、造形美感性に基づく静的な様式美に基づく簡素な建築様式(桂の離宮がその代表)が示す「清々しいきれいさ」や列島各地の工芸品、民芸品が示す「さりげない美しさ」など、すでに滅んでしまったものもあれば幸いにもまだ継続されているものもある。
鎌倉ルネサンスが生み出した精神の美学を忘れ去ってしまえば、この列島の住人は「精神の下層民」の集まりに過ぎないものとなり、室町ルネサンスが生み出した様式美を失ってしまえばこの列島の文化は「文化」と称することもできない低みによどんでしまうことになるだろうし、その工業製品は世界の中で誰が作っても同じ類に堕ちることとなろう。
(11.07.23.篠原泰正)