仲間数人と、ガヤガヤと会社の近くの居酒屋に昼飯を取りに行く。
おネエさんに次々と注文の声が飛ぶ。
”僕は、ウナギだ”、”俺、カツ丼”。
仲間の中に、日常会話には不自由しない程度に日本語ができる欧米人が交じっていたら、ビックリするだろう。「山田さんは人類だと思っていたのに、ウナギなんですか!」と。そりゃそうだ。「僕はウナギだ」を英語に直訳すると、「I am a eel.」となる。
「僕はウナギだ」が、「僕は(サブジェクト)ウナギを(オブジェクト)食べます(食べたい、選択します)(動詞)」というセンテンスが変形したものであることは、日本語を母語とする人であれば誰もがわかっていることである。その証拠に、何分か後には、間違いなく、山田さんの前に「うな丼」が運ばれてきた。おネエさんは山田さんが「ウナギ」であるとはみなさなかったのである。
もっとも、山田さんが日和見主義で、いつも意見がはっきりしない、ウナギのように捕まえどころのない人であれば、「山田はウナギだ」と上司が評することにもなる。この場合には、「山田(サブジェクト)はウナギ(のようにヌルヌルととらえどころのない)人である」という意味であるから、山田さんの属性を定義したセンテンスとなる。
英語の「be」動詞は、基本中の基本の動詞であり、様々な役割を持つ。その第一が、サブジェクトの属性を定義する仕事となる。従って、上司の山田評を英語に直せば、次のようになるだろう.「Mr. Ymada is a difficult person who does not show in open what he wants. He looks like a eel.」
この第一の「be」動詞にあたる日本語は、「サブジェクトは何々である(です)」の「である」となるが、この使い方は誰も気にしていないので、場合によれば「僕はウナギだ」という表現も出てくることになる。
(05.9.3. 篠原泰正)