中国高速鉄動で瀋陽まで行き、定刻に着きました(長春~瀋陽まで1時間30分)。乗り心地は良く快適ですが車内サービスは皆無で、愛想なしです。瀋陽に到着して、直ぐに案内されたのが「九・一八歴史博物館」です。1931年9月18日、日本関東軍は南満鉄道を爆破しました。これが世界を震撼させた歴史的大事件の「柳条湖事変」です。中国は、鉄道爆破から停戦協定までの「満州事変」を忘れないために歴史博物館を建てました。因みに、日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」が起きたのが1937年7月7日ですから本年で80年経ちます。
ガイドさんは中高年のご婦人です。”戦争には勝者は無く、双方が敗者となります。明日の命に保証がない戦争は、どんな優しい心を持っている人でも残忍になれます”。これは戦争研究家が述べていることでしょうが、ガイドさんも同じようなことを仰っていました。
歴史博物館の展示パネル文を紹介:「先の戦争は中国人民に大きな災難を齎しただけでなく日本人民にも不幸を齎した。中日両国の人民は誠意をもって平和渦に交流し、友好往来が実現するようにする。そのため中日両国の人民は不断の努力を重ねてきた」(次回も瀋陽です)。
さて本題に入ります。日本の技術の多くは「成熟・衰退期」にあり、国内への特許出願は減ります。ただし外国出願は増え続けます。国際出願でのPCT(Patent Cooperation Treaty)条約の下では、国内出願の優先権は認めますが、それを英語で提出するときは、国内で出願した内容と同じ事項を記して下さい、となっています。当然です。優先権を認めた出願と英語で記述されたそれが異なる記述をされていれば、そこで主張されている発明が別物となってしまう恐れがでるからです。その原因は、翻訳の元となる日本特許出願明細書の理解が難しいことにあります。
特許明細書は「技術文書と法律文書が入り混じった何やら難しく特殊な文書である」という誤解が一部にあるようです。確かに特許明細書の中にある【特許請求の範囲(クレーム)】は、発明の権利を主張する文書ですから特許法で規定されています。しかし明細書部分は分かりやすく誤解を生まない普通の文章で簡潔明快に書かれている筈です。
米国では、特許明細書とは”単に技術文書の一つであり、より限定すれば英語での表記(Patent Specifications)とおり、発明に関する仕様書です”と位置づけています。欧米の常識から言えば、文書は主題の背景を述べ、主題の概要を説明し、それを実際に展開するとどうなるか、そして実験結果や展開計画を述べる構成となっています。特許明細書では、それらをご理解戴いたところで「私は請求します」と、つまり「アイ、クレーム」となる権利主張を最後に行うのが自然な流れです。発明の背景と概要と詳細説明と請求項から成り立つ特許明細書は「請求項」をサポートするものになっていなければならないと、米国特許法では明確に規定されています。
例えば「請求項」を丸写しにした日本特許明細書に出会うことがあります。「請求項」を読んでも内容がよく理解できず、明細書の中で書かれている説明文を読んで理解の支援を得ようとしても、明細書の方にも「請求項」がそのまま貼り付けてあります(笑)。これは論理の流れからいって、ありえないことです。それが、そのまま忠実に翻訳されて、海を越えて海外出願されているとすれば問題です。ましてや曖昧で難解な文章の代表格である「請求項」の文章となれば余計に心配です。
余談になりますが、7月11日、西川公也・元農林水産大臣が経済連携協定(EPA)で説明する政府資料について「具体的に分かってもらうための資料でないと話になら無い、国会だったら分からない資料でも結構だが」と話したそうです。この発言は、どのようにも解釈できる曖昧日本語の本質問題を提起しているとおもいます。国会も具体的に分かってもらうための資料で議論すべき、と一言加えれば批判されることは無かったでしょう。文書作成で心がけるべきことが二つあります。①文書の構成が論理的に展開てれており、②文章の記述が分かりやすく平明に書かれていることです。(2017/07/19 発明くん)
参考資料)
日本特許明細書【請求項】を英訳し、その英訳文を日本語へ戻して比較しまた
http://www.ipma-japan.org/contents012.html