明治初年(1868年)、戊辰戦争の終幕時に、長州の誰かが”白河以北二束三文”とうそぶいた、という。司馬遼太郎さんの本のどこかで読んでのうろ覚えの受け売りだから正確かどうかは保証の限りではないが、気分はわかる。事実、東京に置かれた明治政府にとって、東北の地は多分ほとんど植民地的な僻地であっただろう。しかも、秋田の佐竹藩を除き、ほとんどの藩が「官軍」に抗した(その多くはどうしようとウロウロしている間に「奥羽同盟」なんぞに組み込まれて気がつけば賊軍になっていたぐらいのところだったと思われるが)ために、薩長土肥を中核にする明治政府からはキツイ「いじめ」にあった。廃藩置県においても、官軍についた地域とは異なり、中心の城下町の名が県の名前とはならなかった。会津若松県とはならず、寒村の福島の名が県名とされ、仙台県とはならずに宮城県、盛岡県ではなく岩手県、弘前県とはならずに青森県という具合である。一種の「いじめ」、この列島に残る陰湿な風土病である「いじめ」の一つの現れである。
そのことは置いておいて、今回の東北大地震・大津波およびそれに伴う福島原発事故は、このジャポニカ列島がその明治維新以来抱えてきた色々な構造的な課題を日の下にさらけ出してくれた。これまで様々な覆いに隠されて見え難くされていたものが、あたかも津波で遮蔽物が全て押し流されて、瓦礫の小平野のあちこちにポツンポツンと問題物が裸で立っているかの趣がある。
その中の一つに中央と地方という構造的問題がある。
私は寡聞にして、あるいは怠慢ゆえに福島原発の設置の経緯を知らない。ただし、想像はつく。多くの反対があった(はず)の中で原発設立を地元が受け入れることになったのは、中央の政府が差し出す二つの「エサ」に惹かれたためであろう。”働く場が増えますよ”というキャッチと”補助金をたくさんもらえますよ”という二つに心が揺れ動かされたのではないか。
明治政府以来、この近代全史を通して、この列島では中央が地方を支配する構図が保持されてきた。全ては中央が定め地方はその命令に従うだけという構図である。この仕組みを可能にしたのは、そして今も磐石の構えで可能にしているのは、ひとえに卓抜したその集金システムにある。つまり、この列島の住民が差し出す税金が全て中央に集るようになっている仕組みのおかげで中央の威信が保たれていることになる。この構図は、歴史を眺めれば、何も明治になって初めてではなく、奈良・平安の昔のシステムそのものの焼き直しであったことが理解される。全国60余国から集めた租税の下で京都では「花よ蝶よ」と優雅な毎日を送ることができた。それと同じことを列島の近代史は再生して来ているわけだ。
人は生活のため、ビジネスのため、金があるところに群がる。頭をペコペコ下げ、考え付くあらゆるオベンチャラを述べて自分達のところにその豊かなお金の一部を回してもらおうとする。
一方、中央からすれば、その仕組みを長続きさせるには、中央と地方の差を常に際立たせておくことが重要であると理解している。地方が豊かになり実力を養われるとシステムにほころびが出始めるのでそれを避けようとする。当然のところであろう。目に見えるその差はたとえば東京の一極集中に現れている。東京に憧れを持たせ続けるには、地方は「鄙(ひな)」のままで停滞してくれていなければならない。従って、お金だけでなく、いや、そのお金を元にして科学、技術から芸能・芸術に至るまで何もかも東京が抜きん出た存在であり続けるようにする。教育・学問の場においても東京大学と地方の公立大学の差は誰の眼にも明かなままにしておく。このようにして、税金という莫大なお金を力にして絶対的権威を維持して来ているわけだ。
その意味で、白河以北の東北の地は中央から見れば今でも辺境の地であり、その地は貧しいままに捨て置かれている。さらに、学術の場の先生方や中央に集るお金のおこぼれ頂戴で中央政権を取り巻いている幇間達の弁の総動員でもって、地方の住民が不満を持たないようにあらゆる仕掛けが講じられて来ている。明治維新以来150年近くこの一大キャンペーンが続いているわけだから、中央におすがりする構図が当り前のものとして定着している。集めたお金を「地方交付金」とかの名目で、貧乏人にお情けでくれてやるデカイ態度に怒る気力も地方は失ってしまっている。自分達が拠出したお金なのだから恐れ入って頂戴しなければならないことはどこにもないのだが、日銭欲しさに文句も出ない。
福島の原発は、このような中央集中システムの中でわなにかけられて出来上がったものである。中央の見事な策略の下に、自分達の手だけではこの貧しさを逃れることはできないというあきらめの下に、差し出されたわずかばかりの給付金につられて迎え入れてしまった。そして、今、この惨状である。
この原発事故でもう一度自分達の地方とは何かを考え直すだけでなく、これからの世界を予測すれば、中央におすがりしてその言いなりになっていては生存が危ういと考えるべき時であることは同時に示されている。化石燃料エネルギーに依存して、またそのエネルギーを基にして展開してきた中央指導のハコモノ・ハイテクに依存していては先が危ういと考えるべきいい機会が目の前にある。
このエネルギーの入手が困難になっていけば、真っ先にへたるのがこれまで輝くばかりであった東京という中央になる。同時に、現行の集金システムを廃して地方地方にまずお金(税金)が集るようにすれば、一日で東京は崩壊する。地域的に見れば食い物の自給自足がほぼゼロパーセントというこの東京は生存という面でもっとももろい場所である。
花よ蝶よの京都に頭に来て鎌倉に幕府を開いて以来明治維新まで、700年近く、この列島は地方の時代であったことを思い出せば今の中央-地方の構図を崩すことははそれほど難しいことではない事が理解されるであろう。例えば、江戸時代の学問の水準は地方地方で江戸をしのぐところがいくつもあった。江戸の旗本が食うに困っているとき、悠々と生きている地方もたくさんあった。この列島は地方連合の土地であるという姿こそ本来的である、ということができる。現在の構図は「白河以北二束三文”と嘯いて(うそぶいて)人為的に造られたものであり、たかだか150年弱の歴史しかない。永久に続くわけもない。今日明日を生きていくために中央におすがりする姿勢を捨てて、あらゆる知恵と気力を総動員して、自分達のことは自分達で経営するという気概をもう一度持てば、昔の地方の気概を再生すれば、これからの時代に生き延びるやり方が見えてくるだろう。
そうすれば、何十年か後に、”利根川(あるいは荒川?)以南は歴史遺物”と東北の地の住人がうそぶく日が来るのではないだろうか。
(11.4.20.篠原泰正)