2012年はどんな一年になるのでしょうか。いまのところ明るいニュースはありませんね。 新年初めての「発明くん便り」です。昨年12月の発明くん便りで「放射能汚染土」の回収のことを触れましたが、その後の後始末について報告します。12月17日(土)に予定をしていた「放射能汚染土」の回収は来なかったです。12月20日の午前中、もういちど電話で催促しました。その日の昼過ぎ、回収に来てくれたようです。しかし「放射能汚染土」は引きとってはいませんでした。
「市道の側溝に溜まっている土砂だけが対象ですので引き取れません」のメモ書きがポリバケツに貼っていました。つまり、市道から流れ落ちた枯れ草、小石、アスフアルト、側溝フタの破片等は引き取れません、と言うことです。腹が立って翌朝、市役所の担当部署へ電話をしました(電話の対応は極めて良かったです)。”ポリバケツへ入れてある「放射能汚染土」は全て側溝から引き上げた物で、分別はできない、「放射能汚染土」を側溝に戻しましょうか”と恫喝?したら翌日に引き取ってくれました。これで一件落着です。
2011年12月16日(金)、「一般社団法人知財経営推進企業協会】主催の第一回「IPMAセミナー」を開催し、無事終了しました。多忙の中を参加いただいた方、本当にありがとうございました。当協会のミッションであります「知財経営」の実践は「日本知財村」の改革、を意味しますので簡単に事が進むとは考えていません。地道に諦めず信念を持って活動を続けて参ります。
名古屋の企業さんから早速、会員への入会申し込みを頂きました。すぐにお礼のメールを出しました。「遠いところから参加頂き有難うございました。当協会はやっとスタートできた状態です。「知財経営」の重要性は、いまのところ「極少数」の限定された方からの支持しか得られないと考えています。当協会小さなスタートとなりますが長く続けることが重要と考えています。御社のような企業が増えて来ることを信じていれば頑張れます。今後ともどうぞよろしく御願いします」。といった主旨の内容です。
その方の方から励ましのメールをいただきました「先日はセミナーでお世話になりまして有難うございました。参加されている人数が多かったのは正直、意外でした。やはり皆さん「これではいけないという感じを持ちながら、その原因は何か分からない」ということではないでしょうか。その意味では貴協会は重要な役割があると思います。弊社の創業者は、「大多数が賛成することはやるな」とよく言っています。大多数は間違えることが多い、正しいこと、大切なことに賛成する人は、最初は少数派だとも言っています。 微力ながら応援させていただきますのでよろしくお願いいたします」と、ありました。
政治改革、行政改革、原発改革といった国民の生活に直接影響を与える物であれば関心を持つ人は多いでしょう。しかし知財業界は極めて狭く閉鎖的ですので「知財改革」への関心は薄いようです。「知財改革」は”やりたい企業がやれば良い、やりたくない企業はやらなくても良い”と言うスタンスです。例え「知財改革」が遅れても”今すぐに会社が潰れる訳ではない、自分の生活に大きな影響はない、会社は徐々に衰退はするが自分がリタイアするまでは何とか持ちそうだ”が案外と本音かも知れないです。しかしそんな悠長な時間は無いと思いますが、皆様はいかが考えでしょう(矢間伸次)
(219) オープン・ジャパニーズ、あるいは第2母語
どうやらわかってきたが、われわれ日本人は、英語を学習する前に、物事を論理的に記述するために、第2母語としての日本語を学ぶ必要がある.この言語を私は「オープン・ジャパニーズ」と呼んでいる.
ロジカルに物事をつきつめ、それをロジカルに表現する訓練がされていないのに、きわめてロジカルな英語を、さー勉強しろと迫られても、それは酷というものではございませんか、ということだ.頭の中でロジカルな適応力が育っていないところに、外国の言語を身につけろと迫られることは、二重の苦難を強いられることになる.そのため、結果としては、英語も身につかず、母語である日本語で論理的に表現することもできない「日本人」がごろごろでてくることになる.
英語を学習するときに、なぜそのような表現方法をとるのか、なぜそのような言い方をするのかを、論理的というテーマを抜きにして理解することはほとんど不可能であろう.文化としての英語を学ぶなら、論理云々抜きで学習できるかもしれないが、この種の英語はもちろん一般的ではない.大体、文化に密着した言語なんぞが、簡単に、外国語として学習できるわけがない.
なぜ英語を学習するのが必要かといえば、一つは世界の情報を入手するためであり、一つは事実と当方の考えを世界の人に伝えるための道具として使いこなす必要があるからである.世界の人と相互に事実と知恵を交換する必要がある事項は、自然に関することと社会に関することである.シェクスピアの価値や芭蕉の意義を論じるためではない.したがって、アングロ・サクソンの文化、英国・米国の文化と切り離された、オープン・イングリッシュを学習すればいいことになる.
そのOpen Englishを学習するためには、その前に、日本語でロジカルに考え、ロジカルに表現する学習(訓練)しておく必要がある.あるいは平行して学習を続ける必要がある.
世界に誇るに足るわれわれの日本語、優美な日本語は、そのままではロジカルな展開には適していない.侘び(わび)・寂び(さび)、粋(いき)と粋(すい)を表現するのに適した言語で、同時に論理的表現にも適していることを求めるのは、あんさん、いかに何でも無理というものでござんしょ、ということだ.天は二物を与えず.
では、世界の人々と世界の中の普遍的事項、戦争や飢餓や石油枯渇や地球温暖化や情報通信技術や、何やかやを伝え合い、知恵を交換するにはどうすればよいのか.日本語は適していないから、はじめから英語でやれというのか.そんなアホな話はない.日本人全員が、イギリスとアメリカとオーストラリアとニュージーランドに分散して移住すれば、次世代の日本人からは可能だろう.やりますか?
答えは簡単で、論理的思考と表現に適した日本語を身につければいいことになる.これは母語であるから、誰でも学ぶことができ、容易に身につけることができる.第2母語としての日本語、Open Japanese である.日本語でそれが可能か.答えは「可」である.間違いなく実現できる.
英語は論理的だからうらやましい、という馬鹿がいる.英語は論理的である代償に、日本語のような、自然と共に生きながらの情緒、感性を表現することはできない言語である.天は二物を与えないのだ.
論理思考と表現に適した第2母語日本語で文書を論理的に明確に記述することができれば、その文書は、英語(だけでなくその他の欧州言語も含め)と「互換性 compatibility」がとれている、つまり世界の中でのドキュメントとして、どこにでも伝わる互換性を持っている存在になる.
もちろん、実際に世界の中で泳ぎ回るには、その文書が英語に訳されている必要があるが、元の文書がロジカルに明快に日本語で書かれていれば、それを正確に英語に転換してくれる英語の達人はたくさんいるし、機械翻訳でも相当レベルまでやってくれるだろう.(機械翻訳の出来具合が悪いと文句をつける人がいるが、奥の細道や円朝の落語を翻訳にかけて、まともな英語にしてくれないと怒っても、それは無理でござんす)
それでは、この第2母語日本語、すなわちオープン・ジャパニーズの構築はできるだろうか.たいした労力は要らないのではないか.必要性を理解しており(今現在)、日本語が大好きで、英語にも強い人が10人も集まって知恵を出せば第2母語仕様書が作れるだろう.
(06.8.10.篠原泰正)
情報システムと言語の関係を考える場合、二つの面から確かめる必要がありそうである。
まず情報システムの基本はコミュニケーション(communication)にあることを再確認しておくことが必要であろう。コミュニケーションとは二者間の「お話し」であり、互いに通じ合うことで成り立つ。同じ言語を話す同士であれば何も問題はないが、互いに違う言語を話している場合には、このコミュニケーションをどのようにして成立させるか、頭の痛い課題が出てくる。そして、厄介なことに、ネットワークシステムがグローバルに広がれば広がるほど、この違う言語の種類が増えてくる。従って、情報システムを構築する場合、まず最初に、この多様な言語の間でどのようにコミュニケーションをとるのかを考えなければならない。抽象的に話をしているが、この日本列島に長年住む人々は単一言語になれているため、どうしてもこの異種言語間のコミュニケーションのややこしさを「体感的に」理解できない。これが、日本人が情報システムの構築に弱い1番目の原因となっている。
2番目には、その言語の違いと関係があるところだが、異種混合(ハイブリッド)という課題が出てくる。例えば、(いささか例題が古臭いが)製造部門における在庫管理システムと販売部門における商品在庫システムは、それぞれ達成すべき目的が異なるし、利用するユーザも異なる。それぞれが独自のシステムを構築して運用していた昔(1980年代)ならば、二つのシステムの間で情報が行き来しなくとも誰も文句を言わなかった。互いに異なるホストコンピュータを使い異なるOSの下でデータを処理していても不都合は生じなかった。
ところが、そのような「楽しい(牧歌的な)」情報システム時代はずいぶん前に終わってしまい、今や部門の違いを超えて情報は必要なだけ行き来することが当たり前のこととして要求されている。したがって、情報システムを構築するには、互いに目的も使い方も異なる、言ってみれば「文化」が異なる種族のシステムを統合的に取り扱わねばならないことになる。(日本の企業の場合、部門(村)が異なれば文化も違うというお笑い風の事象もあるけれど、その話に突っ込むことはここでは避ける。)
極めて均一的なひとつの文化の中で生活しているこの列島の住人にとって、この違いを乗り越えて統合するという必要性は、当然のことながら、苦手の課題となる。文化が異なれば考え方が違い、表現の仕方も異なる。これらを統合するには、まず何よりも、コンピュータの世界以前のところで、”なんだか違うやつら”と日々お話しせざるをえない生活(仕事)をしている体験が必要となる。実生活において、コミュニケーションをとることの難しさを体感している環境が必要といえる。その難しさを実感している上で、異種混合のネットワークシステムを設計し、構築し、動かすことになる。
世界の主流となる情報システムの多くが、カリフォルニアのシリコンバレーから生み出されているのは、そこに世界各地から頭脳が集まってきて設計構築しているからである。日本人が単独で(日本人だけの集まりで)このようなハイブリッドネットワークをなかなかうまく構築できないのは当然といえば当然である。
しかもこのITの世界は、1990年代の半ばからネットワーク間をつなぐインターネットの時代となり、外部(普通の市民)からもネットワークの利用者として参加してくるようになった。つまり情報システムの利用者にマニュアルでもってその利用の仕方を規制できる時代ではなくなったわけだ。これらの何をどうするか予測もつかない不特定多数の「ユーザ」を相手にする情報システムの構築が、ほぼ単一民族的単一文化的集団である日本人の手に負えないのは考えなくとも理解できるところだろう。
さらに、蛇足ながら、そうなると、悪いことをたくらむ頭脳は超一流のやからもたくさん出てくるようになり、情報システムはそれら「悪いやつ」対策、すなわちセキュリティに多大の労力を投じなければならなくなっている。これら「悪いやつ」もまた多様な文化的背景を持っているから、一筋縄では対策できない。ネットワークのセキュリティ対策ソフトウエアのほとんどがアメリカ製(USに本拠地を構えている企業)であることは、凄腕の悪いやからの多くもそこに終結しているからに他ならない。平和なこの列島に住していて、これらのすごい悪いやつらの攻撃から身を守れといわれても、何をどうしていいか考つかないのも当然のことである。
結論風にいえば、集団としての日本人に、情報システムの設計においても”世界のトップ集団になれ”と号令をかけることは、「百年河清を待つ」ではないが、逆立ちして、臥薪嘗胆しても無理な注文となる。
従い、カリフォルニア大学の先生の指摘はもっともながら、その課題を克服しようと必死になるよりも、得意の面を伸ばす努力の方が実り豊かであるということになる。どのように、その「えて(得手)に帆を掛ける」かは別のテーマとなる。
言語、コミュニケーションおよび文化面から、「情報システムでナンバーワン」の道筋は無理という話をしてきたが、付加価値をつけるための情報システムという課題に対して、別の面での大きな障害がこの列島の戦後半世紀以上の中で積み上がっている。
その話は次にする。
(12.01.07.篠原泰正)
昨暮れ、12月30日の日経新聞第1面に、カリフォルニア大学バークレーのロバート・コール教授へのインタビュー記事が掲載されていた。題名は「ITこそモノ作りの中核」となっている。この中で教授は、”日本は強みであるモノ作りにこだわるあまり、世界の潮流を見失っていないか”、”ソフトを軽視したモノ作り回帰は、非現実的な選択肢だ”、”日本企業ではソフト開発部門や技術者への評価が相対的に低く、IT企業は下請けのように扱われている”、などなど相当に手厳しい。
IT(Information Technologies 情報技術)という言葉は極めて幅広く技術分野をカバーしており、半導体製造もディスプレイ装置もITであるが、ここで教授が語っているITは記事から察するに、ネットワーク情報システムおよびそれを動かすソフトウエアである。そうみれば、教授の言うところは大方当たっているといわざるを得ない。言われているところは、簡単に言えば、ハードウエアであるモノとそれを動かすソフトウエアとその二つをひっくるめて総合的に顧客に提供するサービスで金を稼ぎなさい、ということになる。
このこと自体は別に目新しいアプローチでもなく、例えばIBMがもう20年ほども昔に(1993年に外部からCEOに就任したLouis Gerstner氏のトップダウン革命による)メインフレームコンピュータというハードウエアの「モノ」から、それを要素のひとつとしてのITシステム「サービス」業に変身したことなどが記憶に新しい。それゆえ、日本のモノ作りの代表格である大手製造業の皆さんも「頭」では重々承知のことであろう。問題は、「頭」では理解していても「身体」がついていかないところにある。
「身体」がついていかないということは、「苦手」であるためである。苦手であるからついついそこに踏み込むことを避ける。あるいは、苦手だけれどそのバリアを踏み越えなければ明日はない、と覚悟を決めても、中核の「モノ」がまた順調に売れたりすると、喜び勇んでその手馴れた戦場に戻ってしまい、苦い薬を飲むのは明日にしようと延ばし延ばしとなる。
ネットワークシステムは、その土台として拠点のモノ、すなわちサーバと端末機とそれらをつなぐ「線」で構成されている。もちろんこれだけでは、鉄骨だけのビルのようなもので、何の役にも立たない。そこに「情報」が流れて初めて意味を成すのであり、その情報を流す(処理することも含めて)ためにはソフトウエアが必要となる。さらには、それらの情報が、何らかの新たな「価値」を生み出すようになっていなければならない。
その価値とは、例えば、業務の効率化やコストダウンだけで得られるものではない。それらは、当然得られる価値を効率化やコストダウンで取り戻しただけの話であり、教授が”ITこそが付加価値向上のために最も必要な技術だ”というとき、その価値とは、上積みされた価値を指している。つまり、モノだけを単独で売った場合に得られる価値を100とすれば、それに40も50も場合によれば倍にして売るようにしなければならないということである。
言い方を変えれば、IT技術を使って、乾いた雑巾を絞るように1銭2銭のコストダウンを生み出す努力をしていても、それだけでは駄目ですよ、ということだ。その努力は否定しないけれど、もっと知恵絞ってがめつくでかく儲けなさい、と言われていることになる。それが、サービスまで含めての提供ということであろう。
例えば、自動車会社の土台が「良いモノ」である車を提供するところにあることは、自動車というモノがなくならない限り不変であるが、デトロイトのビッグスリーはずいぶん昔に、自動車ローンという金貸し業でさらに儲けるやり方を考え出した。金儲けという面では天才的手法である。ただし、デトロイトの場合、この金融業の儲けのほうにだけ目が行って、肝心の「モノ」である自動車にガタがきたので落ち目となってしまった。
その落ち目の話は余談になるが、教授が語っている「ITで付加価値を高める」というものは、例えば自動車産業で言えば、車の販売や金貸しで稼ぐだけでなく、「輸送」というサービスをトータルに提供することによって新たな価値、すなわち儲け口を生み出しなさい、ということではなかろうか。そのサービス提供には、最新のITに基づくネットワークシステムが不可欠の要素であるというわけだ。
ところが、その新しい付加価値を生むシステム(ネットワークを含めて幅広く)が問題なのだ。いや、日本人にとって、そこが最も苦手とするところと言ったほうがより具体的であろう。もちろん、具体的な「乾いた雑巾をさらに絞る」ための情報システムなど、目的と範囲がはっきりしていれば、その構築はできる。しかし、それは、上に述べたように、100円の自動車から限界利益を少しでも多く絞りだすだけであり、その「雑巾システム」でもって1台200円で売れるようにはならない。金貸し業で50円上積みしてもまだ150円である。200円で売れるようにするためには、あと50円。これが新規の付加価値である。
この残り50円を付加するためにITが不可欠といわれても、何をどうすればいいのか答えがなかなか出てこない。苦手な分野だから。
なぜ、苦手なのか。答えのひとつは、日本人という集団は言語に弱いところにある。情報システムの根源には「言語」がある。言語で明晰に表現できなければシステムは描けない。
自分の経験を通して戦後史を語るという、この1002回目からのブログの趣旨を曲げずに、幼少期から突然時代が飛んでしまい恐縮だが、私のITとのかかわりを含めて、次回以降、このコール教授の指摘を受けて問題解決の道を考えたい。(多分いい答えはないだろうけれど)そのためには、次回はまず、上に述べたシステムと言語の関係を考えることにする。
(2012.01.05.篠原泰正)
2011年は東日本の大地震に始まり津波、原発意事故、近畿件での大雨災害、そしてタイ国の洪水と散々な一年でした。2012年は欧州の経済金融危機からのスタートです。2012年は少しでも良い年になるよう自分にできることから実行して行きたいと考えています。
【新年早々の能書きですいません】:
表題:グローバル社会は「金つくり」と「ものつくり」が共存できるのか?
グローバル化社会の流れは誰もが止めることは出来ない。グローバル社会を支配しているのは金融社会である。金融社会は極一握りの人間が巨大マネーを移動させるだけで全世界の経済バランスを瞬時に狂わせることができる、それはバーチャル(虚業)の世界である。一方、ものつくり社会は技術の蓄積、技術の利用、技術の進歩を前提とした実態(実業)の社会である。
ここで金融社会とものつくり社会との係わりを整理してみる。金融社会は「金つくり」が目的で極一部の人間へ富が集中し多くの人々がどんどん不幸になっていく、つまり人間の優劣を簡単に決めてしまうシステムである。やがては地球も滅ぼす危険性すらある。
一方、ものつくり社会は基本的に人々を幸せにして行くシステムと言える。例えば貧困地域の人々は様々な問題を抱えて苦しんでいる。これらの問題を解決するのが技術の利用と技術の進歩である。金つくり社会が齎す最大の弊害は拝金主義が蔓延することである。拝金主義は「金つくり」の為なら「何でもあり」という無法社会へ繋がる。例えば「金つくり」をする為の手段として「ものつくり」をする。従って模倣品(特に新興国)が多く出回るのは当然である。更にドキュメント(文書)だけで「金つくり」を目指す米国型ビジネスの典型と言えるパテント・トロールの存在もある。
日本が「知財立国日本」を目指すならば、いち早く知的財産権のグローバル化を推し進める必要がある。日本は世界の人々が求める技術(幸せにする技術)をたくさん持っている。まず日本が持つこれらの技術を世界の人々に伝えねばならない。その為には世界の人々から理解が得られる明快なドキュメント(特許明細書に代表される文書)を作成することが必須の条件となる。
次に知的財産権の保護である。拝金主義者が生み出さす模倣品からの被害の広がりを食い止めなければならない。さらにパテント・トロールからの「いちゃもん」を退けなければならない。そのためには「世界で通用する戦える特許明細書」が絶対に必要なのである。
様々な問題を抱え苦しんでいる人々(例えば貧困地域)を「知財の共生」で助け出すことが可能と思う。詰まるところ「知財の共生」とは双方が共存できるのビジネスフアームを構築することである。それが知的財産の活用であり技術の輸出を意味する。一方では心掛けの悪い拝金主義者をドキュメントの力で駆逐せねばならない。「知財戦争」とは、詰まところ言語の戦いである。何れにせよドキュメントの「文章品質」が要となる。いまのところ「日本知財村」は、ドキュメントの品質管理について酷く無神経である。非論理的で、曖昧で、意味不明で、日本人でも理解できない、あの特許明細書で世界と戦えるわけが無い。
日本は「ものつくり」で得た富を平等に分配して多くの中産階級を築き上げてきた世界で類を見ない国である。ものつくり社会は、このまま金融社会に飲み込まれ振り回され続けるのか、それとも日本型「ものつくり」で多くの犠牲者を救い出すことができるのか、いまその瀬戸際にある。 そのカギを握るのがガラパコス化した鎖国知財「日本知財村」の改革である。2 012 年は「志」のある知財マンの台頭を願う一年となろう。(矢間伸次)。
西宮北口時代の路上での遊びはいろいろあったが、その双璧は「べったん」と「ラムネ」であった。
「べったん」とは、後に東京にきてから「めんこ」という呼び名であることを知るのだが、ぼーる紙でできた札(カード)を地面に叩きつけて、相手の札を仰向けにひっくりかえす遊びである。ひっくりかえせばもちろんその札はこちらのものとなる。何枚も片手に握りしめている札のなかから次はどれを出すかなど、この賭け事は単に振り下ろす腕力だけでなく、なかなかに深遠な作戦も必要とする。
「ラムネ」とは、これまた東京にきて「ビー球」というお上品な名前であることを知るのだが、勝負の仕方には二種ある。ひとつは、地面に描いた円の中に置かれた相手の「ラムネ」(ラムネという清涼飲料のビンに入っている玉から来た名前)めがけて上空からこちらの玉を落とし、相手の玉を円の外にはじき出せれば勝ちであり、その玉を取得できる。もうひとつは、同じく円の中に置かれた玉めがけて遠くから指ではじいてはじき出すやり方である。カーリングに似たルールでもちろん自分の玉は円内に残っていなければならない。
「べったん」の語源は知らないが、多分、”べったん”と叩きつけるところかきたのだろう。「ラムネ」もそうだが、大坂の言葉には、このような即物的な名称が多くあり、なにやら懐かしい気もする。その「べったん」と「ラムネ」において、私はなかなかの腕前であり、普段から札も玉も相当の数を宝物として所有していた。頭と腕力と指先の器用さを掛け合わせた競技であるから、相当の成績であったことは誇りに足るであろう。
この腕前を順調に伸ばしていれば、ひとかどのギャンブラーになれたはずだが、途中でつまずいて、以後賭け事と無縁の生涯を送ることになった。
つまずきの原因はいずれも6歳下の弟にある。
時代は、だいぶあとの話になるが、小学校6年生の時、学校に行く前の弟に将棋で勝てなくなったのが「勝負師」の道を断念した最大要因である。しかも、さらに、トランプの「神経衰弱」という遊びで対弟戦に全敗を繰り返したことが決定的であった。敵はどういう頭の構造なのか、一度めくられたトランプの札のナンバーと場所を全部覚えており、あれよあれよという間に撒かれた札全部が彼の手元に移っていく。これはアカンということで、以来今まで、勝負の世界とはすっぱり切れてしまった。
従って、麻雀もできない。私の通った高等学校は大学の付属ということもあって、級友の多くは雀荘に馴染んでいるという環境であった。親しい友人の一人なんぞは、雀荘のお姉ちゃんにほれられて(3年生の時)半同棲的に雀荘から学校に出て来ていた。このようなつわもの(強者)に取り囲まれている環境で、”点棒の数え方教えて”なんて言い出せるわけがないし、仮に計算の仕方を覚えて仲間に入れてもらったとしても、クリスマスの七面鳥のようにすべての毛をむしられてしまうことは目に見えていたので、一度も雀荘に足を踏み入れることなくこの歳に至っている。
パチンコは左手で玉を穴に入れすかさず右手でレバーをはじくという連携動作が難しく、これも早々にギブアップした。競馬の馬券を買ったこともなく、ましてや競艇やオートレース場に足を踏み入れたこともない。
唯一、ギャンブルに興じたのは、サラリーマンになって10年ぐらいから、カリフォルニアに関係する仕事が増えてからである。場所はもちろんラスベガス(Las Vegas)であり、もうひとつはサンフランシスコから東、シエラネバダ(Sierra Nevada)のてっぺんを越えた向こう側、カリフォルニアとネバダの州境にあるタホ湖(Lake Tahoe)のほとりのレノ(Reno)のカジノ(casinos)である。
その二つの「賭場」に出入りした数は合わせてせいぜい10回ぐらいであるが、瞬間的に最大儲けたのは300ドルという記録しかない。カードを使う名前を忘れたがなんとかという遊びはルールと計算の仕方が理解できないので、遊びはもっぱらルーレット一本やりであった。”商品企画屋として先の読みは当たるのだ”と豪語しながら何度も挑んだけれど、その最高値がたった300ドルというお粗末。しかも、その金額に有頂天になり続けたものだから、あっという間に「元の木阿弥」。どこかの御曹司のように100億円をつぎ込むなんて遊びからみれば、ビンボーな、ど素人きわまれりというところだろう。
さらに言えば、株というのも買った経験が一度もない。せっかく、5歳6歳でひとかどの路地のギャンブラーであったのが、長じるにつれて、こと賭け事となると、清らかな聖者のごとき生涯を送ってきたことになる。人生そのもが「賭け」のようなものだったから、それ以外の「賭け」に手を出すゆとりがなかったのかも知れぬ。
(2011.12.29.篠原泰正)
阪急西宮北口駅から北に伊丹の方向へ支線が1本延びていた。(今でもあるのだろう。)我が家から割合近くを走っていて、多分単線であった。この電車の土手に春になるとつくし(土筆)があちこちに出てくる。なんでこのようなことを覚えているのか。それは、このつくしんぼうが食べ物になるからである。手にもてるだけ摘んで家にもって帰ると、母の手でそれらが夕飯の1品として出てくることになる。たしかおひたしとして出てきたはずである。いささか苦味があって子供むきのものではなかったが、青菜の不足を補うささやかな手配りであったのだろう。
私の(母方の)祖母は私を指して”この子は不憫(ふびん)や”といつも言っていた。何が不憫かというと、まず第一に、(戦争のために)”乳母もつけてやれず”という仰天すべき事実が出る。兄二人にはこの乳母なる存在がついていたそうだから、確かに不憫のひとつなのだろう。この乳母なる存在に後にも先にも実物を見たことが無いので想像もできなかったが、長じて(小学校の高学年になって)講談本を読み散らすようになってから、「乳母」というと「春日の局」が浮かんでくるようになり、あんなきつそうなおばさんなら居なくてよかったと、不憫どころか戦争に感謝したくなったものだ。
第二の不憫は、満1歳の春に「小児麻痺(ポリオPolio)」ウイルスによって脊髄が冒され、首から下全身が麻痺するという、家族にとってはそれこそ驚天動地のやまい(病)にやられたことにある。最終的には右足のひざ下のどこかあたりまでしか運動神経が回復せず、右足首不全という後遺症が残ることになった。もっとも一病息災という言葉もあるように、その人の生涯において生きるか死ぬかの大病を1回済ませておけば、あとは大病しないようで、それ以降今まで入院した経験は、自宅マンション前の坂道で10段ギアつき高速チャリで転倒して大たい骨にひびが入ったときだけである。(この入院騒ぎはあまり名誉な話でもないので詳細は省く。)その意味では、これも大して不憫な話でもない。
第三の不憫は、この子は「おかず」という言葉を知らなかった、というところにある。ものごころついた時から小学校に上がるあたりまで、つまり、この西宮北口時代では、夕飯といえどご飯と味噌汁の組み合わせのみで、そこに焼き魚のひとつ(これがおかずというもの)も付くことは無かったことになる。従い、「おかず」という単語は私の辞書には記録されなかったわけだ。まことに不憫なことではある。
しかし、狭い世界ではあるが周りを見ても豪勢な食事なんぞとっている家族があるわけではなく、それどころかどの家庭でも「おかず」なんて贅沢とは無縁であっただろう。農村はいざ知らず、都会地での戦後は食べ物確保がどの家庭でも第一番目の最大課題であったのだから、この三番目の不憫もまあたいしたことではない。そこに母が居て(父親も居たのだがめったに見かけることが無かった)、兄弟がいて、貧しくともなんとか食べることができたのだから、当時の社会においてはまことに恵まれた境遇にあったということになるだろう。
食べ物というのは、魚とり(漁業)と農耕(牧畜も含めての農業、agriculture)活動に依存しており、まさに「文化」の多様な局面のひとつの典型と言える。ところが、工業とお金を軸にした現文明が伸展するにつれて、「食べ物」も「食糧」となり、工業製品と見分けがつかなくなっていく。スーパーに並ぶ魚の切り身から元の魚の姿を想像することは難しく、「切り身」という工業製品が並んでいるだけである。
「文化」というのは「感じる」ことに土台を置いており、「文明」とは「考える/計算する」に土台を持つ。文明の拡大は同時に文化の縮小をもたらし、食事という文化においても、ごはん(食べ物)をありがたくいただくという感情は薄れていき、計算に基づき食糧を廉く便利に(効率という計算)仕入れて食卓に並べるだけに変っていく。作った人の感情が入っていない工業製品のごとき食糧を食べるしかない現代の子供にこそ、ばあちゃんの”不憫やなあ”という言葉が似合うことになる。
さらに話は飛ぶが、食べ物を食糧としてとらえていれば、誰がどこで作ったかは意識の外であり、金さえ出せばいつでも買える「モノ」に過ぎなくなる。したがって、この列島における「食糧自給率」が40%と聞いても誰も驚かない。自給率40%ということは、”有事の際”つまり戦後すぐのような事態において、輸入食糧が途絶えれば、1億の民のうち6千万人は飢えるということであり、平等ということで見れば、毎日の食事を60%減らすことを意味する。日本国民全員の究極のダイエットとなる。
食べ物のありがたさを忘れてしまうことは、自分たちの文化を捨ててしまうことであり、限りなく感性を劣化させていることになる。そのような民がある日「食糧難」に襲われても、世界から”不憫やなあ”という声は聞こえてこないのではなかろうか。
(11.12.27.篠原泰正)
尼崎の東、大阪市の西はずれに十三(じゅうそう)という名の地域がある。繁華街もあるらしいけれど曽根崎新地や北の新地から見れば、こんなことを言うと地元の人に”どあほ、何ぬかしてケッカンねん、ドついたろか!!”と、それこそ口に手突っ込まれて奥歯ガタガタいわされるかも知れないが、まあ場末である。
このあたりに、ここだけではなかっただろうけれど、戦後早い時期に、多分復興政策の一環であったと思われるが、公営の住宅棟がいくつも立ち並ぶことになった。言うなればプレハブの長屋であったが、この長屋が「文化住宅」と呼ばれることになった。即物的で気早い(イラッチ)大阪人はこの呼び名を縮めて「ブンカ」と呼ぶようになる。
建屋はお手軽のものであったが、電気、上下水道、都市ガス、(多分)電話完備のいわゆる近代的住宅であったから「文化住宅」である。しかし、何か変だ。デンキ・スイドウ・ガス・デンワは近代文明社会を象徴する代表的基盤であり、名前をつけるなら「文明住宅」とすべきだったのではなかろうか。
しかし、「文化」と「文明」はとかく混同される概念であり、またその境界線をはっきり引くことも難しい。戦後日本の当時、新しいもの、進歩的なもの、快適なもの、きらきらするもの、これらすべては「文化的」と呼ばれていたように思える。何しろ、先進の知識人(これもおかしげな名称であるがここでは傍に置いておいて)が「文化人」と呼ばれていた時代であるから、文明的なるもの、すなわち当時ではほとんど同義的にアメリカ的なるものは、「文化的」と呼ばれていたと言える。その「文化」を十三の住宅に代表させて「ブンカ」と呼んできた大阪人の頭の構造もこれまた驚くべきところがある。いかにも大阪風の、風刺をこめてのおふざけであろう。
何度もこの場で書いてきたように、「文化/カルチャー/culture」は農耕に源を置く、ある地域でのある集団が共通して持つ生活とものの見方の総称であり、反対側からみれば、その土地で生まれ育たないとなかなか身につかないなにやら変なものとも言える。これに対して「文明/シビライぜーション/civilization/civilisation)は、その人が身に付けたカルチャーの種類に関係なく、頭さえ働けば習得できる様々なやり方とその産物といえる。結果としての産物の典型としては、文明の中興の祖、あるいは現在の近代文明の祖であるローマ文明が誇った道路と上水道が今に残る。つまり、文明とはまず何よりも社会基盤の整備があって成り立つものであり、それらをどうやって造るのかを習得できる頭さえあれば誰でも真似できるものである。
したがって、十三の住宅を「ブンカ」と呼ぶのは定義から言えば明らかに間違いであり、明治維新の時に、”ざんぎり頭を叩いてみれば、「文明開化」の音がする”と半分やけくそ気味にうたった人の方が言葉の使い方において正しかったことになる。
前回までに書いてきた西宮北口の家では、上水道と電気はかろうじてきていたが、電気はしょっちゅう停電するので、予備に「石油ランプ」が備えられていた。下水は通っていなかったので便所は「ぽったん式」であり、電話という「文明の利器」も通じていなかった。その意味ではブンカいやブンメイ化も半分ほどであり、十三の「ブンカ」的生活よりも遅れていたことになる。
農村において、この「文化住宅」化が遅れたことが、日本の農村の疲弊を招くひとつの大きな原因であったろうと思われるが、その話はまた後にする。
(2011.12.23.篠原泰正)
困った!「放射能汚染土」の処分
2011年,最後の「発明くん便り」です。2011年は地震、津波、放射能の3点セットで「くら~い」1年となりました。「発明くん便りの」締めくくりは放射能汚染とします。
市道と我家の境界に側溝がある。この側溝は市道の雨水を下水道に流すためにある。この側溝は、なぜか上蓋が無い。枯葉、泥、石ころ等が雨水と共に側溝へ落ちる。この側溝へゴミまで投げ捨てる輩がいるのには呆れるが。雨水だけを下水道へ流す対策として側溝の途中で「ステンレス金網」を自分達で施している。勿論、この網に引っ掛かったゴミの取り出し作業は自分達で行っている。
10月下旬、この側溝の放射線量を計測したら、なんと!5マイクロシーベルトを記録した。驚いて早速、市役所へ報告した。速やかな行動とは言い難いが市役所の職員さん一応、測定しに来てくれた。しかし測定の結果「確かに高いですね」で終わり。処理はどうしてくれるの?と聞いたが「政府からの指示を待っています」で終わり。そのまま放置された状態で、その後の連絡は無い。
側溝の「放射能汚染土」は,どうも我家の所有物らしい。詰まり放射線物質は天から授かった財産あるから大事に保管をしてください。これが政府の方針のようだ。嫌であれば所有者が処理をする必要があるようだ。このまま、放置し続けるするわけにはいかない。仕方が無い、完全武装をして11月中旬、側溝の「放射能汚染土」を厚いポリ袋ヘ入れて更にポリバケツ(大きいサイズ)ヘ容れ込んだ。取り合えず、そのポリバケツ2杯を車庫の隅へ隔離しているが、5マイクロシーベルトは減るわけではない。隣家のご主人がこの「放射能汚染土」の引き取りを「しつこく、しつこく」市役所と掛け合ってくれた。どうにか12月17日(土)に引き取ってくれそうである。
但し引き取るのは「放射能汚染土」だけで他のゴミ(衣類等)は引き取れない、とのこと。「放射能汚染土」以外のゴミ処理は担当部署が違うらしい。「側溝上蓋」の陳情も担当部署が違うらしい。面倒なので自己負担で上蓋(約40枚)をすることにした。東電へ請求できないかな・因みに自分が住んでいる街は「ホットスポト」で有名な柏市である。誠に不名誉なことである。もう一つ有名なのはJリーグで優勝した柏レイソルであるが、こちらは誠に名誉なことである。
「放射能汚染土」の処分は大きな研究テーマ(課題)となっている。日本人は自ら研究テーマを探索するのは苦手であると言われているが研究テーマが見つかればチーム力で、その課題を解決をする能力は際立っている。恐らくは日本人科学者達が世界に先駆けて「放射能汚染土」の処理技術を開発するであろう。日本が再び復興するには条件がある。それは日本人技術者が持つの知的資産の活用がうまく活かされた時である。この知的資産をドキュメント化(知的財産化)して、この文書を商品として世界から金を稼げる仕組みを早急に構築すべきである。日本発の技術は大変な価値がある。しかしその価値を貶めているのが曖昧、意味不明の世界で通用しないドキュメント(特許明細書)の酷さにある。
研究テーマ(課題)がたくさん有った「黎明期・成長期」は既に終わり、日本は成熟・衰退期」を迎えている。翻せば日本は独創的な技術が生まなければならない土壌を作らなければならない。しかし「独創的研究テーマ」は独創的で有れば有るほど企業の中では異端であり「ボツ」となる可能性が高い。その理由は何もかもが場当たり的で経済性、効率だけを求めるリーダの劣化がある。世界の投資家が日本へ投資するのは日本国家(政治家、官僚のファーム)やリーダではない。何があっても頑張り抜く「勤勉日本人」「暴動を起さない日本人」への信頼である(このまま円高は続くであろう)。日本人への期待の中に日本人が持つ「知的資産」がある。この知的資産が日本復興の資源であろう。しかし、この知的資産をドキュメント落とし込んで「知的財産化」することが出来ていない。誠に残念なことである(2011年12月16日・矢間伸次)。
(218) 特徴とする、あるいは感性の仕様書
日本の特許明細書の中の請求項部分で、奇妙な記述がある.
「XXXを”特徴とする”ZZZ」という表現がそれである.日本の特許法において、あるいは特許庁の指導において、そのように書けと決められているのかどうか、寡聞にして私は知らないが、発明の権利を主張(請求)するにしては、変な表現である.
これが商品の仕様書(カタログ)であれば、わが社の製品はこれこれの「特徴」があると記述することはきわめて当たり前のことだが、これが、発明の主張となると、どうも理解に苦しむ.特徴とする、とは、他者と比較しての性質だから、A社の製品もB社の製品もC社の製品も、みな同じ性質(機能性能価格において)を持っていたなら、それは、いかに秀でた特性であっても「特徴」とはならない.その場合は、自社の製品はXXXを「あたりまえ」のものとして保持している、とでも言うしかない.
また、特徴というのは、デジタルで評価できるものではなく、人の感性、感覚、価値観に基づくきわめて主観的な評価であり、自分でいくら「私脱いだらスゴインデス」と主張しても、「ホンマに凄いわ」と他人様が評価してくれなければ、それは「特徴」とはなりえないだろう.
このように、「特徴とする」かどうかは、一つは他者に類似のものがあるかどうかにかかっていることに加えて、その判定は人間の主観によるきわめて曖昧な根拠によってなされるものである.
主張する自分の発明が、本当に発明に値するかどうかは、自分で主張すれば権利が取れるものではない.いくら凄いぞ凄いぞと騒ぎまわっても、第三者が認めてくれなければ、その発明は権利としては成り立たない.したがって、発明であると認められるかどうかは、他に同じものがあるか無いかの「事実」に基く判定にかかっているはずだ.特許の審査官の主観に基づいて判定されるわけではない.
請求項とは、「私の発明は以下の通りである」、と主張する場所だから、何も特別の形容詞をかぶせなくとも、受け取り手は充分に作法どおりに理解している.ポイントはその記述事項が従来世の中に存在していなかったかどうかの判定にある.「特徴」があるかどうかは関係ない.余計な修飾語にすぎない.
なぜこのような修飾語が、「事実」を争う場に持ち込まれるのであろうか.このような修飾語に出くわすと、技術を記述する仕様書、権利を主張する仕様書が、なにやら「徒然草」風のエッセイのようにみえてくる.
一つ確実にいえることは、このように記述された請求項はそのままでは英語に訳しようがない.このような権利の主張の仕方は、アメリカではまったく理解されない.私も理解できない.私の頭の中がアメリカ風になっているからだろうか.
この発明に権利をくれと要求する上で、脱いだら凄いとか、特徴があると大声で叫ぶことはまったく無意味である.主観に基づく主張ではなく、あくまでも事実関係の争いが全てなのだから.
(06.8.09.篠原泰正)